彭徳懐
彭 徳懐(ほう とくかい、ポン・ドーファイ、1898年10月24日 – 1974年11月29日)は、中華人民共和国の軍人・政治家。中華人民共和国元帥。原名は彭得華、号は石穿、仮名は彭清宗。国務院副総理兼国防部長(大臣)、中国共産党中央政治局委員、中央軍事委員会副主席を務めたが大躍進政策を批判したため失脚し、最後は癌に侵されながらも治療を拒否されるなど紅衛兵らによる虐待の中で息を引き取った。
彭徳懐は貧農出身であり、幼くして母親が病死後、生活は困窮、祖母とともに物乞いより糊口をしのぐ生活であった。9歳で家郷を離れ、13歳からは炭鉱勤務、15歳のときに洞庭湖のダム建設工事に従事している。1916年3月、17歳で湯薌銘の湘軍(湖南軍)第二師第三旅第六団第一営第一連(師長・陳復初、旅長・陳嘉佑、団長・魯滌平、営長・劉鉶、連長・胡子茂)の兵卒となる。この頃から早くも頭角を現し、優秀な人物と見なされ班長を任せられるようになった。この時、同連の兵卒であった段徳昌、黄公略、王紹南、李燦、張栄生、席洪全、祝昌松、魏本栄らと秘密組織「救貧会」を組織。同年8月、湯は失脚、以降北京政府での政争に伴い、湖南督軍も譚延闓、安徽派の傅良佐や張敬尭と頻繁に入れ替わり、更に直隷派の軍人たちも湖南省内各地に割拠し始め、各部隊の指揮官がいずれの派閥につくかで湖南軍は分裂を始める。1920年初夏、張敬尭との戦闘に参加、この功により排長(小隊長)に任ぜられる。同年11月末、兵士11万人が参加した鬧餉闘争に参加。
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生年月日 | 1898年10月24日 |
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出生地 | 清湖南省湘潭県石潭鎮 |
没年月日 | 1974年11月29日(76歳没) |
死没地 | 中国北京市中国人民解放軍総医院 |
所属政党 | 中国共産党 |
称号 |
中華人民共和国元帥 朝鮮民主主義人民共和国英雄 |
国務院副総理
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内閣 | 周恩来内閣 |
在任期間 | 1954年9月29日 – 1959年9月17日 |
国家主席 |
毛沢東 劉少奇 |
初代国防部長
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内閣 | 周恩来内閣 |
在任期間 | 1954年9月29日 – 1959年9月17日 |
反応