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「俳聖」として世界的にその名を知られる江戸時代前期の俳諧師。民衆文芸だった俳諧を形式・内容ともに芸術として完成させ「蕉風」と呼ばれる句風を確立した。幼名は金作、通称は甚七郎、甚四郎、名は忠右衛門宗房。俳号としてははじめ実名の宗房を、次いで桃青、芭蕉と改めた。父は伊賀の土豪一族出身。長じて京にいた俳人・北村季吟に師事し俳諧の道に入り、29歳の時に初句集『貝おほひ』を上野天神宮に奉納した。その後、江戸へ下り日本橋、次いで深川に居を構え多くの作品を発表した。1684年8月には『野ざらし紀行』の旅に出、伊賀、大和、吉野、山城、美濃、尾張をまわり木曽、甲斐を経て翌年4月に江戸へ戻った。1687年10月には伊勢へ向かう『笈の小文』の旅に出発、1689年には弟子の河合曾良とともに『奥のほそ道』の旅に出た。この旅で数多くの名句を詠んでおり、代表的なものとして「夏草や兵どもが夢の跡」「閑さや岩にしみ入る蝉の声」「五月雨をあつめて早し最上川」などがある。1694年、滞在先の大坂で病に倒れ他界。最後の句は「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。病床にありながらも推敲を続けたという。多くの門人を持ち、「蕉門十哲」と呼ばれた10人のほか、旅の途中で親交を結んだ門人が地方地方にいた。「松島や ああ松島や 松島や」の句は「古池や蛙飛び込む池の音」とともに芭蕉の代表作として有名だが、じつは松島の句は芭蕉の作ではなく、江戸後期の狂歌師・田原坊の作ではないかといわれる。また、芭蕉といえば隠密・忍者説がよく知られるが、『奥のほそ道』の旅は幕府からの密命を受けた芭蕉が密偵として仙台を偵察するのを目的としていたのでは、という説もあるが真偽は不明。

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