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華雄といい、字も出身地も不明である。董卓征討の義勇軍が起こると、華雄は呂布とともに胡軫の配下として従軍し、孫堅の討伐に向かった。胡軫と呂布の仲が悪かった。呂布は、偽りの伝令によって胡軫は混乱し敗れた。華雄は陽人において戦死し、その首級を孫堅の手により梟首とされた。『三国志演義』では、華雄は身の丈九尺(210cm)を誇る豪傑であり、関西の人と設定されている。董卓討伐軍が編成された時、驍騎校尉として汜水関の守将を務め、連合軍の鮑忠を斬って都督に昇進した。その後、豪傑ぶりを発揮し、孫堅軍の祖茂を手始めとして、袁術軍の兪渉、韓馥軍の潘鳳など多くの武将を討ち取った。袁紹は「顔良・文醜を従軍させていれば、こんな事にはならなかった」と嘆いた。しかし続いて出撃してきた関羽の前に、華雄は一合にして討ち取られてしまった。関羽が帰陣したときには、出発の際に差し出された酒がまだ温かであったというものである(横山光輝の漫画『三国志』でも、華雄迎撃に赴く関羽に曹操が景気づけに酒を差出す場面があり、これを飲んで出撃した関羽に酔いが回らないうちに討ち取られる描写となっている)。なお、胡軫との主従関係が史実とは逆転しており、胡軫が華雄の副将となっている。正史では董卓配下の都督とされているが、盧弼『三国志集解』で注にあげられる潘眉の説によると、正しくは都督ではなく都尉の地位にあったとある。

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