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中曽根 康弘(なかそね やすひろ、1918年(大正7年)5月27日 – )は、日本の政治家。位階は従六位。勲等は大勲位。公益財団法人「世界平和研究所」会長、拓殖大学第12代総長・理事長、名誉総長、東アジア共同体評議会会長。新憲法制定議員同盟会長。

衆議院議員連続20回当選(1947年 – 2003年)、科学技術庁長官(第7・25代)、運輸大臣(第38代)、防衛庁長官(第25代)、通商産業大臣(第34・35代)、行政管理庁長官(第45代)、内閣総理大臣(第71・72・73代)、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第11代)などを歴任した。対米関係上の愛称は「ヤス」。

群馬県出身。東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省に入省する。海軍短期現役制度で戦時中に海軍主計士官に転じるも、終戦後には内務省に再勤する。退官後、衆議院議員に当選。以来、中曽根派を形成するなど自由民主党内で頭角を現し、科学技術庁長官をはじめとして運輸大臣、防衛庁長官、通商産業大臣、行政管理庁長官などの閣僚経験を経て、1982年(昭和57年)から1987年(昭和62年)にかけて内閣総理大臣を務める。国鉄、電電公社、専売公社、日本航空の民営化を達成した事績が特に知られる。またアメリカのロナルド・レーガン大統領と「ロン・ヤス」関係と呼ばれる信頼関係を構築して日米安全保障体制の強化にも努めた。

2004年(平成16年)7月19日に鈴木善幸が亡くなったことにより最年長の首相経験者となり、昭和時代の歴代総理大臣の中で最後の存命者となった。歴代総理大臣の中では東久邇宮稔彦王(死去時102歳48日)に次ぐ長寿の首相経験者であり、現行憲法下で首相就任を果たした人物としては最高齢である。2018年(平成30年)5月27日には満100歳を迎えた。これも首相経験者としては東久邇宮稔彦王に続く2人目、現行憲法下で首相就任を果たした人物としては初となる。

内閣官房内閣広報室より公表された肖像写真
1980年代撮影
生年月日 (1918-05-27) 1918年5月27日(101歳)
出生地 日本 群馬県高崎市
出身校 東京帝国大学法学部政治学科卒業
前職 大日本帝国海軍少佐
内務省官僚
拓殖大学総長・理事長
現職 世界平和研究所会長
拓殖大学名誉総長
所属政党 (民主党→)
(国民民主党→)
(改進党→)
(日本民主党→)
(自由民主党→)
(無所属→)
自由民主党
称号 従六位
大勲位菊花大綬章
衆議院名誉議員有資格者
法学士(東京帝国大学・1941年)
フランス共和国ルイ・パスツール大学名誉博士
中華人民共和国上海交通大学名誉教授
群馬県名誉県民
正論大賞特別賞
配偶者 妻・中曽根蔦子
親族 長男・中曽根弘文
孫・中曽根康隆
サイン

第71-73代 内閣総理大臣
内閣 第1次中曽根内閣
第2次中曽根内閣
第2次中曽根第1次改造内閣
第2次中曽根第2次改造内閣
第3次中曽根内閣
在任期間 1982年11月27日 – 1987年11月6日
天皇 昭和天皇

第45代 行政管理庁長官
内閣 鈴木善幸内閣
鈴木善幸改造内閣
在任期間 1980年7月17日 – 1982年11月27日

第34-35代 通商産業大臣
内閣 第1次田中角栄内閣
第2次田中角栄内閣
第2次田中角栄第1次改造内閣
第2次田中角栄第2次改造内閣
在任期間 1972年7月7日 – 1974年12月9日

第25代 科学技術庁長官
内閣 第1次田中角栄内閣
在任期間 1972年7月7日 – 1972年12月22日

第25代 防衛庁長官
内閣 第3次佐藤内閣
在任期間 1970年1月14日 – 1971年7月5日

その他の職歴
第38代 運輸大臣
(第2次佐藤第1次改造内閣)
(1967年11月25日 – 1968年11月30日)
第7代 科学技術庁長官
(第2次岸改造内閣)
(1959年6月18日 – 1960年7月19日)
衆議院議員
(1947年4月26日 – 2003年10月10日)
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