伊地知正治

薩摩藩士。類いまれな軍略家である。西郷隆盛、曰く「伊地知先生さえいれば、薩摩の軍略は大丈夫である。」わずか700の兵で、4倍弱にあたる2500名の幕府軍を撃破した、戊辰戦争の白河口の戦いが有名。軍略の特徴は、密度のこまか…

吉井友実

薩摩藩士。のち、吉井幸輔。島津斉彬のもと、若手改革派として、藩政改革で活躍。また鳥羽伏見の戦いでも多大な功績をあげた。維新後は、日本鉄道の社長などをつとめる。

大久保利通

薩摩藩の出身。大久保一蔵(いちぞう)とも呼ばれる。維新の三傑(西郷、大久保、桂)の一人。小松帯刀とともに、島津久光の側近として藩政改革を推進。幕末の京都政局では、久光を擁立して、公家の岩倉具視と協調。一橋慶喜の将軍後見職…

小松帯刀

正式名は小松清廉(こまつきよかど)。薩摩藩の家老。島津久光の側近として藩政に進出。大久保利通らと藩政改革を推進。一方で、藩外交においても、坂本龍馬の亀山車中設立の援助、薩長同盟の土台づくり、イギリスとの友好に尽力など、そ…

島津忠義

薩摩藩最後の藩主。第12代藩主であり、島津氏第29代当主。藩内の実権は、父であり後見人にである島津久光に握られる。徳川慶喜と同様、明治維新後は多くの趣味を持つ。(写真撮影や花火作り、乗馬など)。孫に香淳皇后(昭和天皇の皇…

島津久光

明治維新時における薩摩藩の実質的な最高権力者。島津斉彬は異母兄。島津忠義は長男。明治維新後は、薩摩藩内にて絶対的な権力を持ち続ける。元家来の西郷と大久保が断行した廃藩置県(明治4年)に激怒し、自宅庭で花火を打ち続けた逸話…

島津斉彬

薩摩藩の第11代藩主。島津氏の第28代当主である。日本史上に残る名君。先見の明に優れ、革新的な施策で、薩摩藩の富国強兵をはかる。人材発掘および育成にも長け、下士階級の西郷隆盛や大久保利通を登用した。

山本三郎

会津藩士。山本権八の息子であり、山本覚馬、新島八重の弟にあたる。 初陣である鳥羽伏見の戦いにて戦死した。

大山捨松

大山巌の妻。明治を代表する女性知識人であり、「鹿鳴館の花」と呼ばれた。 また、女子教育にも力を入れていて、津田塾大学創始者の津田梅子とともに明治の女子教育に多大なる功績を残す。 愛国婦人会理事。赤十字篤志看護会理事。

西郷千重子

会津藩家老・西郷頼母の妻。西郷千恵とされる場合もある。 会津戦争が激戦となり、新政府軍がいよいよ若松城下へ侵攻してきたことで、西郷千重子は5人の娘や義母、義妹らとともに自刃した。一族21名による自刃は、会津戦争における悲…

照姫

会津藩藩主・松平容保の姉。飯野藩主の息女として生まれ、11歳で会津藩主・松平容敬(まつだいらかたたか)の養女となる。 会津戦争では、若松城内で女性たちを陣頭指揮。負傷者の救護や炊き出しに自らまわった。

山川健次郎

明治の教育者。 東京帝国大学、京都帝国大学、九州帝国大学の総長、私立明治専門学校(九州工業大学の前身)の総裁、武蔵高等学校(武蔵大学の前身)の校長などを務める。 兄弟に山川二葉、山川浩、大山捨松(大山巌の妻)がいる。

山川二葉

明治の教育者。山川浩、山川健次郎、大山捨松の実姉である。 会津戦争では会津若松城の防衛戦に武器を取り参戦。会津藩家老・梶原平馬と結婚するも、その後離婚。 明治時代に入ると、女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)にて2…

梶原平馬

会津藩家老。藩主・松平容保が京都守護職在任中は側近として活躍。戊辰戦争では抜群の折衝能力を発揮し、奥羽越列藩同盟の成立に多大なる貢献を果たした。 維新後は、長らく消息が不明になっていたが、後年(1988年)北海道の根室市…

山本覚馬

新島八重の実兄であり幕末を代表する砲術家。 佐久間象山の塾で洋式砲術を学び、会津藩校・日新館で教授として軍事教育を行う。禁門の変では、長州藩への砲撃でその実力をみせた。維新後は、初代京都府会議長となり、京都府政の整備に努…

日向ユキ

新島八重の幼なじみであり、当時の会津女性の生き方を記した貴重な資料「萬年青(おもと)」の作者としても知られる。(萬年青を筆記したのは息子) 会津戦争後、北海道に渡り開拓史の手伝いをする。そこで出会った開拓史官吏の薩摩藩士…

中野竹子

生年は1847年説もあり。会津藩江戸藩邸で生まれ、幼き頃より薙刀の腕を磨く。 戊辰戦争では、母・こう子や妹らと「娘子軍」を結成し新政府軍相手に奮戦するも、被弾。 身内の手(母、妹の説あり)により介錯され果てた。

新島八重

同志社大学(前身は同志社英学校)を興した新島襄の妻。結婚前は山本八重。(新島八重子との説もある) 幕末・明治時代を生きた女性としては珍しいエネルギッシュな言動で、数々の逸話を残す。 会津藩が迎えた幕末の戊辰戦争では、断髪…

飯沼貞吉

白虎隊士(士中二番隊所属)。号は孤舟、孤虎。年齢を偽って白虎隊に参加。会津の地にて政府軍を迎え撃つ。(会津戦争) 敗戦のさなか飯盛山に至り、城下が炎に包まれているのをみて城が陥落したと思い、他の十九士と共に自刃を決意。(…

秋月悌次郎

会津藩の藩士。藩主・松平容保が京都守護職を任命されると、公用方として随行。一夜にして宮廷内を一変させた薩会同盟では、会津藩側の実質代表として立ち働く。

神保修理

会津藩の軍事奉行添役。家老 神保内蔵助の長男。松平容保の上洛に随行。戊辰戦争では大局観から松平容保に恭順を勧めるが、佐幕派の藩士の怒りを買ってしまう。最後は、藩主である松平容保の戦中逃亡で混乱した藩内をまとめるため、責任…

西郷頼母

会津藩の家老。京都守護職就任をめぐり藩主である松平容保と意見が対立。不遇を味わう。戊辰戦争勃発後は、家老職に復帰し、白河口の戦いで官軍を迎え撃つ。その後、会津から脱出。榎本武揚や土方歳三らと合流し、函館でも再度官軍を迎え…

佐川官兵衛

幕末の会津藩 家老。戊辰戦争では戦線における会津藩の中心人物として徹底抗戦。その勇猛さから、異名は「鬼の官兵衛」または「鬼佐川」。西南戦争に参戦。熊本県にて戦死。

松平容保

幕末、京都守護職をつとめる。明らかな貧乏くじであり、家臣の西郷頼母らの反対にあうが、最終的には政治的な判断ではなく、立場および心情上引き受けてしまう。配下として新撰組を率いたことでも有名。

豊原国周

幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師。師は、豊原周信および歌川豊国(三代目)。画号は国周の他、一鶯斎、豊春楼、花蝶斎、花蝶楼、華蝶斎、華蝶楼、一桃、歌清舎、曹玄子、米翁、鶯斎。

月岡芳年

「最後の浮世絵師」と呼ばれる、幕末に明治にかけて活躍した浮世絵師。 歌川国芳を師として腕を磨き、歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多様なジャンルの作品を遺した。 特に無惨絵については、その衝撃度から「血ま…

岩瀬忠震

幕末三俊のひとり(ほか、水野忠徳、小栗忠順)。 別名は修理、通称は篤三郎。 老中首座・阿部正弘に才能を見いだされ、主に外交官として非常なる活躍をみせる。 徹底した積極開国論者であり、全権としてテーブルに臨んだアメリカ総領…

大浦慶

天領・長崎にて、油商、大浦太平次・佐恵の娘として生まれる。 海外で人気の日本茶の輸出貿易業を手掛け、莫大な利益を得ることで豪商へとのし上がり、その名は広く知られるようになる。 大浦慶は輸出業で得た利益によって、幕末の志士…

上野彦馬

日本の「写真の祖」といわれる。 天領・長崎生まれ。 日本における最初期の写真家であり、坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文といった幕末の志士の写真を数多く撮影したことでも知られる。 また、西南戦争の戦跡を撮影したことで…

唐人お吉

本名は斎藤きち。天領・伊豆下田に生まれる。 下田一の人気芸者として、初代アメリカ 総領事タウンゼント・ハリスに身を任せた女性として有名である。 しかし、これには裏話があり、日本滞在し体調を崩したハリスは幕府に看護婦を要請…

楠本高子

シーボルトの娘・楠本イネの子。 天領・長崎で生まれる。 イネの産科医としての師・石井宗謙がイネに対して強制的な情交を持ったことで授かったとされており、出生当時は「タダ子」とよばれていた。名前の由来は高子自身が語っており、…

楠本イネ

オランダお稲の名でも知られる。 天領・長崎で生まれる。父はドイツの医師・博物学者として有名なフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト、母はシーボルトお抱えの遊女だった瀧(お滝)。 幕末において、シーボルト門下の宇和島藩二…

福地桜痴

本名は福地源一郎(ふくちげんいちろう)。桜痴は号。 長崎で医師の息子として生まれた。幕末には「江湖新聞」を刊行。ジャーナリストとして危険を顧みずに新政府を批判し、明治初の言論弾圧事件の当事者となる。明治に入ると、政府系の…

お登勢(寺田屋)

天領である近江・大津宿にて生まれる。 18歳で京都伏見の寺田屋六代目・伊助のもとに嫁ぐ。しかし、夫は放蕩者であり大酒がたたり早死にしてしまったため、寺田屋はお登勢が取り仕切ることとなる。 このときお登勢はまだ35歳であっ…

伊庭八郎

隻腕の剣士として、戊辰戦争を函館まで戦い抜いたことで有名。 幕末江戸四大道場である練武館・伊庭家の御曹司として生まれる。剣の腕は一流で、若き頃の異名は「伊庭の小天狗」「伊庭の麒麟児」。 幕府では、武術指導所(講武所)で教…

高橋泥舟

泥舟は後年の号、若いころの号は忍歳。いわゆる「幕末の三舟」のひとり。(ほか、勝海舟、義弟である山岡鉄舟)。生家の山岡家は槍の自得院流の(忍心流)の名家で、泥舟みずからも槍を修行し、神業に達したと評される。 幕臣として節義…

佐々木只三郎

京都見廻組隊士。京都見廻組を率いて清河八郎を暗殺。また、近江屋事件で坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺したともいわれている。 幕府軍の一員として参戦した鳥羽・伏見の戦いにて戦死。

川路聖謨

幕末の名官吏として名高い。ペリー来航時、開国のため国書の受理を主張する。 外交では日露和親条約の交渉、アメリカ総領事はリスの応接掛を務めるなど大いに活躍する。 新政府軍による江戸総攻撃の予定日に、自ら命を絶つ。割腹のうえ…

阿部正弘

老中首座。ペリーの開国要求にあたり、安定した指導力を発揮できなかった第12代将軍・徳川家慶、第13代将軍・徳川家定の下で、かつてない挙国一致体制をつくりあげようとした。(安政の改革) 改革の一環である積極的な人材登用では…

徳川家慶

江戸幕府第12代征夷大将軍。当時、洪水や冷害による50年に一度の大飢饉(天保の大飢饉)が起こり、対外的にも阿片戦争やモリソン号事件で各国の緊張が高まるなど、国内外が混乱に陥っているときに、44歳と高齢で将軍就任。 就任当…

永倉新八

新選組 二番組組長及び撃剣師範。明治4年以降は杉村義衛と改名。 近藤勇・土方歳三・沖田総司らとともに道場・試衛館の生え抜きであり、新選組結成メンバーである。 池田屋事件では、20数名の敵を相手に、先発隊として斬り込んだ4…

斎藤一

新選組 三番組組長および撃剣師範。剣の腕では、一番組組長・沖田総司と双璧をなし、さまざまな逸話が残っている。副長・土方歳三の信頼が厚く、新選組内部での粛清役を多く務めたとされる。(御倉伊勢武、荒木田左馬之助、武田観柳斎、…

沖田総司

新選組一番組組長。隊のなかでも随一の剣の腕を持っていたといわれ、主力として常に重要な任務に携わっている(芹沢鴨暗殺、大坂西町奉行所与力・内山彦次郎暗殺、池田屋事件、禁門の変、総長・山南敬助の介錯など)。 しかし1867年…

前島密

日本の近代郵便の父。大久保利通らが進めていた大阪遷都に対し江戸遷都を建白した事でも知られる。

天野八郎

鳥羽・伏見の戦い後、再起を目指す幕府急進派の一員として、渋沢成一郎らとともに彰義隊を結成。副頭取となる。渋沢脱退後は頭取となり、大村益次郎率いる官軍を相手に上野戦争を起こす。

近藤勇

新選組局長。農家の出であったが、のち新撰組としての活躍を認められ、念願であった幕臣となる。戊辰戦争では、隊を再編した甲陽鎮撫隊を率いた。

芹沢鴨

新選組(壬生浪士組)の初代筆頭局長。映画や小説では、近藤・土方の敵役として粗暴な面が強調して描かれることが多い。

清河八郎

希代のアジテーター。松平春嶽に急務三策(攘夷の断行、大赦の発令、天下の英材の教育)を上書することで、浪士組の盟主をまかされる。

山岡鉄舟

鉄舟は号。通称は鉄太郎。いわゆる「幕末の三舟」のひとり。(ほか、勝海舟、高橋泥舟)。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。官僚であるが、同時に剣や書の達人として知られる。弱冠15歳の時に「修身二十則」という自らへの誓いを立て、…

小栗上野介

幕末三俊のひとり(ほか、岩瀬忠震、水野忠徳)本名は小栗忠順(おぐりただまさ)。幕臣として、勘定奉行や外国奉行をつとめる。