永井尚志

ながいなおむねとも読まれる。玄蕃頭。号は介堂。外国奉行として、ロシアやイギリス、フランスとの通商条約調印を行なう。政争・将軍継嗣問題では一橋派を支持していたため失脚。井伊直弼没後は復帰。生来の交渉能力を発揮して、禁門の変…

小笠原長行

幕末の譜代大名。江戸幕府の老中、外国事務総裁。老中時に生麦事件が起こったとき、早期解決をはかるため、独断でイギリスに賠償金を支払った。これが尊王攘夷派の猛反発を呼び、老中職を罷免される。 戊辰戦争では徹底抗戦を主張し、榎…

板倉勝静

幕末における、奏者番・寺社奉行・老中首座(筆頭)。備中聖人とよばれた山田方谷をブレーンに置く。第14代将軍・徳川家茂のときに老中となり、攘夷決行の勅命処理に苦慮。また、第15代将軍・徳川慶喜のときには大政奉還の実現などに…

徳川慶喜

江戸幕府第15代征夷大将軍。江戸幕府、最後の将軍でもある。将軍就任前は、御三卿・一橋徳川家の第9代当主。 類いまれなる切れ者としてみせた一連の政治的働きは、桂小五郎に「実に家康の再生を見るが如し」と言わしめた。 おもな働…

鷹司輔煕

孝明天皇時代の関白。父はやはり関白である鷹司政通。 右大臣時代に三条実万らとともに、戊午の密勅を孝明天皇から引き出すよう宮廷内で運動したため、安政の大獄で失脚、謹慎となる。その後、復帰し関白に就任するも、尊王攘夷派が宮廷…

久我建通

公武合体を模索し和宮降嫁に尽力したため、尊王攘夷派の攻撃対象となった四奸二嬪のひとり(ほか、岩倉具視(左近衛権中将)・千種有文(左近衛権少将)・富小路敬直(中務大輔)、今城重子(少将掌侍)・堀河紀子(右衛門掌侍))。 孝…

三条実万

三条実美の父。日米修好通商条約への勅許問題では、関白・九条尚忠と対立した。

正親町三条実愛

積極的に宮中工作により、幕末において大きな存在感を持っていた公家である。 通商条約締結の勅許を求める徳川幕府の強引な姿勢に、廷臣八十八卿の一人として抗議活動を展開。結果、井伊直弼が主導する安政の大獄によって刑罰を受ける。…

一条美賀子

徳川慶喜の正室。 疱瘡で婚約破棄となった一条忠香の娘・千代君(照姫)の代役として、急遽嫁いだ。 そのせいか慶喜との夫婦仲はけして円満ではなく、たびたび衝突していたと伝えられる。 激動の幕末に最後の将軍となった慶喜は就任後…

久邇宮朝彦親王

通称は中川宮。 三条実美らによる長州藩の宮中支配に歯止めをかけるため、孝明帝から「長州藩排除」の内意引出したのが中川宮である。その後の、薩会同盟を主軸にした政治クーデター・八月十八日の政変の立役者といえる。 その後、政治…

相楽総三

赤報隊隊長。 天狗党の乱などに加わった後、西郷隆盛や大久保利通と交流を持つ。1867年、大政奉還により幕府討伐の大義を失っていた薩摩藩・西郷隆盛の命により、浪士隊を結成。倒幕運動という名の放火・略奪などを行なう。 これは…

姉小路公知

尊王攘夷派の公家。日米修好通商条約締結に反対する公家によるまさかの抗議行動(廷臣八十八卿列参事件)の指導者として活動。三条実美とともに江戸の徳川幕府に攘夷実行を催促し、家光以来、約230年ぶりの将軍上洛を実現させるなど時…

岩倉具視

政治的剛腕を発揮して、幕末から明治はじめにかけて、日本のカタチづくりに尽力。幕末のおもな働きとしては、公武合体による朝廷権力の復活を狙った和宮降嫁の推進、奇策・大政奉還でなおも政権掌握を狙った徳川慶喜を完全に失脚させたク…

辻潤

翻訳家、思想家。日本のダダイズムの中心人物。甘粕事件で大杉栄とともに殺害された婦人運動家・伊藤野枝は妻である。

波多野秋子

『婦人公論』(中央公論社)の記者。有島武郎の愛人として、軽井沢の別荘で心中を遂げる。

澤田正二郎

大衆演劇の人気役者。『澤正』の愛称で人気を博した。劇団新国劇の座長として活躍していた全盛期に急性化膿性脳膜炎にて死去。わずか36歳での死はファンに衝撃を与えた。

竹内栖鳳

動物を描けばその匂いまで描くと言われ、達人の名を欲しいままにした画家。第1回文化勲章受賞者。大正13年に描いた代表作『班猫』は重要文化財となっている。

永井ふさ子

歌人。師である斎藤茂吉との大恋愛でも知られる。当時、斎藤茂吉には妻子もおり、またふさ子とは30近い歳の差であった。なお斎藤茂吉からふさ子宛に送られた恋文は150通近くにも及び、ふさ子の意向で公開されている。

斎藤茂吉

歌人。精神科医でもあり、芥川龍之介や永井荷風、宇野浩二らを診察していた。なお、芥川龍之介が自殺の際に使用した睡眠薬は斎藤茂吉が処方したものであり、その悲報に斎藤は大変な衝撃を受けたと述懐している。

松旭斎天勝

大正時代に人気があった女流奇術師。松旭斎天一(しょうきょくさい てんいち)に技を学び、天一一座の花形として頭角を現す。キュートなルックスとモダンな衣装で披露するマジックショーは、大正時代の人々を熱狂させた。アメリカ興行も…

伊藤晴雨

責め絵、幽霊画で名作を残した絵師。後に竹久夢二の愛人となるお葉を、彼女が12歳の頃から責め絵のモデル兼愛人としていた。

お葉

本名は佐々木カネヨ。別名に永井カ子ヨ(かねよ)。藤島武二、責め絵を得意とした伊藤晴雨、竹久夢二といったそうそうたる画家の絵のモデルとなる。特に、伊藤晴雨と竹久夢二については愛人関係であり、公私においてパートナーであった。

大杉栄

アナキスト。大正時代に日本を騒然とさせた甘粕事件により殺害される。四角関係のはて非難のなか結ばれた婦人運動家・伊藤野枝、六歳の甥・橘宗一とともに憲兵に連行された事件は、憲兵への壮絶な非難が集まる一方で、憲兵へ命令したとさ…

前田光世

伝説の柔道家・柔術家。アメリカやヨーロッパ、中南米で、ボクサーなどを相手に異種格闘技戦をおこない連戦連勝。日本の格闘技・柔道の強さを世界中に知らしめた。前田は柔道着を着用して1000試合以上を戦い、そのいずれにも勝ち遂に…

加藤まさを

大正時代を代表するイラストレーターのひとり。少女たちに圧倒的な支持を得た。

蕗谷虹児

大正ロマンを代表するイラストレーターのひとり。竹久夢二に憧れスケッチ帖を持って夢二を訪ね、その実力を認めてもらう。蕗谷虹児は、「僕にも挿絵が描けるでしょうか」と夢二に訊ねた際に、「僕に描けたんだから、君にだって描けるさ」…

須藤しげる

おもに大正時代に活躍したイラストレーター。少女倶楽部、少女の友などの少女雑誌、少年倶楽部、令女界で独特のイラストを発表し、発竹久夢二や高畠華宵らとともに大正ロマンを担った。本名は須藤源重(すどうげんじゅう)。

美濃部達吉

大正デモクラシーの代表的理論家。美濃部が大正元年に発表した天皇機関説(「君主は国家におけるひとつの、かつ最高の、機関である」)は政党政治の理論的拠り所となる。

西田幾多郎

日本の歴史に残る哲学者。晩年に示した『絶対矛盾的自己同一論』は多くの賛否を巻き起こし、西田哲学への関心が高いあらわれとなった。

甲斐庄楠音

唯一無二の美人画を残した異端の画家。岸田劉生に「グロテスク」とも言わしめたその作風は、現代でも画集が出されるなど根強いファンが多く、岩井志麻子の小説『ぼっけえ、きょうてえ』の表紙で代表作の『横櫛』が採用され話題となった。…

吉野作造

政治学者、思想家。『民本主義』をとなえた吉野作造は大正デモクラシーの代表的な論客である。『中央公論』に発表した評論『憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず』が注目され、一躍大正デモクラシーをリードする存在となった。

松方幸次郎

川崎造船所初代社長。のちに衆議院議員。また、たいへんな美術収集家としてもしられている。松方がヨーロッパで収集した絵画・彫刻・浮世絵などは通称『松方コレクション』として、その一部は国立西洋美術館の創立時の母胎となっている。…

土方与志

小山内薫とともに日本の新劇運動の象徴である劇団築地小劇場を立ち上げた。祖父は幕末の有名志士である土佐藩の土方久元。

杉浦非水

大正ロマンを象徴するモダンなポスターが人気だったデザイナー。とくに三越のポスターが有名である。多摩美術大学の前身である多摩帝国美術学校の初代校長として後進の育成にもつとめた。

平塚らいてう

婦人参政権獲得運動など、婦人運動をリードした思想家、フェミニスト。彼女が残した言葉『元始、女性は太陽であった』は、当時の婦人運動を象徴するものとして、特に有名である。

松井須磨子

劇団芸術座の看板女優。芸術座をともに立ち上げた劇作家・演出家の島村抱月との不倫関係で世間から糾弾されたが、松井須磨子は舞台での公演でこれを跳ね除ける。なかでもし、『復活』(原作・トルストイ、訳・島村抱月)のカチューシャ役…

柳原白蓮

歌人。大正三美人のひとり(ほか、九条武子、江木欣々)。新聞に掲載した夫への公開絶縁状はあまりにも有名である。

野口英世

細菌学者。ロックフェラー医学研究所研究員として黄熱病や梅毒等を研究した。その功績は世界でも注目され、ノーベル生理学・医学賞候補にたびたび挙がるほどであった。1928年、アフリカのガーナにてみずから黄熱病に罹患してしまい、…

宮沢賢治

大正時代を代表する詩人、童話作家。生前は無名に近い存在だったが、死後評価が高まった。代表作は、唯一の詩集である『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』。

竹久夢二

大正ロマンを代表する画家、詩人。大正の浮世絵師とよばれ、『夢二式美人』と評判を受けた美人画を数多く発表した。代表作は愛人であったお葉をモデルにした『黒船屋』。

芥川龍之介

日本文学史に残る文豪。古典から題材をとつた『羅生門』『芋粥』『藪の中』『地獄変』『歯車』や、児童向けに『蜘蛛の糸』『杜子春』といった名作をのこす。代表作は数多い。1927年、芥川は35歳で服毒自殺。「僕の将来に対する唯ぼ…

モルガンお雪

本名は加藤ユキ。アメリカのモルガン財閥創始者であるJ.P.モルガンの甥と結婚し、そのシンデレラストーリーが話題となった。

織田信福

自由民権運動家で歯科医である。高知市議会議長や県議も歴任した。子孫により信福の写真が残されているが、その現代風の容姿で「イケメンすぎる」とネットやTVで話題になった。

夏目鏡子

明治時代の文豪・夏目漱石の妻である。「猛妻」「悪妻」という悪評が長く続いていたが、NHKドラマ『夏目漱石の妻』(原案『漱石の思い出』 夏目鏡子/松岡譲)が放送されるなどして、そのイメージは変わりつつある。父は貴族院書記官…

三輪田米山

明治時代の書家。伊予三筆のひとり(ほかは、僧明月、僧懶翁)。「酒を飲まぬと、筆をとること難し」と自身の日記に残したとおり、酒を飲み大胆な書風を得意とした。明治天皇に対する書の指導をしたことでもしられる。

伊庭貞剛

「別子銅山中興の祖」とよばれた第二代住友総理事。叔父である初代住友総理人の広瀬宰平の後を引き継いだ。

広瀬宰平

初代住友総理人。幕末に別子銅山の総支配人となる。明治維新の際に新政府からの別子銅山接収のプレッシャー、経営難による身売りから別子銅山を守り、開発近代化を推進した。

石井筆子

日本ではじめて知的障害者福祉に取り組んだ、先駆者のひとりである。「明治の紫式部」ともよばれた、恵まれた容姿と溢れる才能で政財界にも太いパイプをもち、伊藤博文とも浮名を流した。「日本のラスプーチン」とよばれた大日本精神団の…