AKIRA (プロレスラー)

AKIRA (プロレスラー)│無料動画│200px akira nogami in the ring 28september 201129

AKIRA(アキラ、1966年3月13日 – )は、日本のプロレスラー、俳優。本名:野上 彰(のがみ あきら)。プロレスラーとしてはMAKAI所属で俳優としてはアキラノガミの名前で浅井企画に所属。

1984年、新日本プロレスに入門する。同期には、武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、船木誠勝らがいた。福岡県立久留米体育館における武藤敬司戦でデビュー。船木誠勝と組み、タッグでU.W.F.の安生洋二・中野龍雄組と好試合を連発し、前座を沸かせる。その後欧州武者修行を経て、凱旋帰国と同時に第16代IWGPジュニアヘビー級王座を奪取。この頃、東京ドーム大会で、隈取を施しAKIRAとして試合を行ったこともある。その後、体重を上げてヘビー級に転向、飯塚高史と「J・J・JACKS」を結成した(さらにエル・サムライを加え、「新世代闘魂トリオ」の名を付けられた時期もある)。1996年にコンビを解消し、平成維震軍の一員となった。

1998年以降、試合(主に橋本の蹴り)の影響で網膜剥離を患う。レスラーとしてはセミリタイア状態となり、俳優業を開始(後述)。しかし、当時欠場中だった蝶野に誘われ、TEAM 2000に「ムービースター」の二つ名で参加。AKIRAと完全に改名し、オブジェを顔面に接着したような風変わりな覆面で試合に乱入、俳優経験を生かした高いアピール力と弾けたファイトぶりで、高い会場人気を得た。その後はジュニア戦線に主戦場を移し、金本浩二や稔(当時は田中稔)との対決は常に名勝負となった。

2004年には新日本プロレスから離脱、フリーとなって全日本プロレスにスポット参戦し、当時カズ・ハヤシが保有していた世界ジュニアヘビー級王座のタイトルに挑戦した。AKIRAが初めて全日マットに上がった際、二足の草鞋を履いているからといってどちらもおざなりにせずプロレスをしていた姿を見た渕正信は絶賛しきりであった。それ以後は週刊プロレスの当時のインタビューコーナー『蝶野王国』で司会の蝶野に対し「全日本で自分の居場所を見つけた」と発言、全日マットをメインに活躍した。

プロフィール
リングネーム AKIRA
野上 彰
本名 野上 彰
ニックネーム リングのムササビ
身長 180cm
体重 90kg
誕生日 (1966-03-13) 1966年3月13日(53歳)
出身地 千葉県習志野市
所属 MAKAI
浅井企画
トレーナー 山本小鉄
デビュー 1985年10月12日
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