中井正清

徳川家康に仕えた江戸時代初期の大工で、京大工頭として畿内・近江6カ国の大工を統括した中井家の初代。 初名は藤右衛門。おもな官位は、従四位下大和守。父は法隆寺番匠の中井正吉。 中井正清の若い頃の活動については定かではなく、…

大久保長安

能役者から徳川幕府の勘定奉行、老中に昇りつめた異色の人物。 通称は藤十郎、十兵衛。おもな官位は従五位下石見守。長安は1545年、武田信玄お抱えの猿楽師・大蔵太夫金春七郎喜然の息子(次男)として誕生した。 信玄からその素質…

大久保忠世

蟹江七本槍、徳川十六神将のひとりに数えられる徳川家康の武将。 通称は新十郎。別名は七郎右衛門。息子は徳川幕府で老中となり初期の幕政で重きをなした大久保忠隣。 若い頃から徳川家康の父・松平広忠に仕え、その後、家康に仕えた。…

斎藤利三

徳川幕府三代将軍・家光の乳母である春日の局の父としても知られる。 通称は内蔵助。「美濃の蝮」と呼ばれた斉藤道三の息子・義龍に仕え、その後、西美濃三人衆のひとり稲葉一鉄の家臣となったが不仲により一鉄の下を離れ、明智光秀に仕…

江(崇源院)

浅井長政とお市の方の娘。いわゆる浅井三姉妹のひとり(ほか、茶々(淀殿)、初)。 3度の婚姻を結ぶ。一人目が佐治一成、二人目が豊臣秀吉の甥・豊臣秀勝、三人目が徳川秀忠(後の徳川幕府第2代将軍)である。

高山右近

通称は彦五郎。号は南坊等伯。官位は従五位下・大蔵少輔。キリシタン大名として知られ、ドン=ジュストという洗礼名を持つ。 茶道にも通じ、千利休の七高弟(利休七哲)のひとりとしても有名。初め松永久秀に仕えたが、十五代将軍・足利…

竹姫

江戸時代中期の女性で、薩摩藩5代藩主・島津継豊の後妻。徳川幕府5代将軍・徳川綱吉および8代将軍・徳川吉宗の養女。公家・清閑寺熙定(せいかんじひろさだ)の娘として京に生まれたが、父の姉妹で5代将軍・綱吉の側室である寿光院と…

お久免の方

徳川幕府8代将軍・徳川吉宗の側室。紀州藩士の娘として生まれ、和歌山城にて吉宗の生母のお世話係をしていた。吉宗に見初められ側室となり、女児を出産したがその子は夭折してしまった。吉宗没後は出家し、覚樹院と号し、81歳と長寿で…

お古牟の方

徳川幕府8代将軍・徳川吉宗の側室。御三卿のひとつ田安徳川家初代当主・徳川宗武(むねたけ)の生母。9代将軍・家重の生母である側室のお須磨の方が死去してのち側室となり、男児を生んだ(のちの徳川宗武)。その後、吉宗が将軍となり…

お梅の方

徳川幕府8代将軍・徳川吉宗の側室。一橋徳川家初代当主・徳川宗尹(むねただ)の生母。なお、宗尹の孫は11代将軍・家斉、曾孫は12代将軍・家慶、玄孫は13代将軍・家定と14代将軍・家茂。お梅は幼くして和歌山城に奉公に上がると…

お須磨の方

徳川幕府8代将軍・徳川吉宗の側室で、9代将軍・家重の生母。父は紀州藩家臣、母も紀州藩家臣の娘。紀州藩主時代の吉宗の側室となり、のち9代将軍となる家重を生んだ。吉宗からの寵愛深く、再び懐妊したが難産の末、母子ともに死去。墓…

理子女王

徳川幕府8代将軍・徳川吉宗が紀州藩主だった頃の正室。幼称は真宮(さなのみや)、院号は寛徳院(かんとくいん)。吉宗が紀州藩の5代藩主だった時に京から輿入れし、やがて妊娠したが流産、さらに産後の肥立ちが悪く理子も20歳の若さ…

斎宮

徳川幕府6代将軍・徳川家宣の甲府藩主時代の側室。武士の娘で、甲府藩主時代の家宣(当時は綱豊)の江戸桜田邸に奉公し、見初められて寵愛を受けるように。家宣の子を懐妊したが、難産のため母子ともに他界した。墓所は東京都墨田区にあ…

お須免の方

徳川幕府6代将軍・徳川家宣の側室。別称に二之御部屋様、新典侍局。公家出身の近衛熙子(ひろこ)が家宣の正室としてに輿入れした際に熙子に仕え、のち家宣に見初められ側室となった。やがて家宣の子である男児・大五郎を出産、同じく家…

月光院

徳川幕府6代将軍・徳川家宣の側室、7代将軍・家継の生母。本名は勝田輝子、側室としての名はお喜世(きよ)の方、左京の局。もと加賀藩士で浅草の住職の娘として生まれた。甲斐国甲府藩主時代の徳川綱豊(のちの6代将軍・家宣)に仕え…

常盤井の局

徳川幕府5代将軍・徳川綱吉時代の大奥女中。右衛門佐局(えもんのすけのつぼね)とも。もともと霊元天皇の後宮に仕えていたが、下級武士の娘ながら綱吉の子を生んだことで大奥で絶大な権力をふるう綱吉の側室・お伝の方を快く思わない公…

お伝の方

徳川幕府5代将軍・徳川綱吉の側室。落飾後は瑞春院を名乗る。下級武士の娘だが、綱吉の生母・桂昌院の侍女となり綱吉に見初められ側室となった。綱吉の寵愛深く、長女・鶴姫、長男・徳松を生んだ。綱吉の子を生んだのはお伝の方だけだっ…

浄光院

徳川幕府2代将軍・徳川秀忠の愛人。名は静。3代将軍・家光の弟で名君の誉れ高い会津藩祖・保科正之の生母。父は後北条氏のもと家臣とも、武蔵板橋の大工とも。秀忠の乳母・大姥局(おおうばのつぼね)に仕え、秀忠に見初められると懐妊…

顕子女王

徳川幕府4代将軍・徳川家綱の御台所(正室)。伏見宮貞清親王の娘。幼名は浅宮(あさのみや)、法名は高厳院(こうげんいん)。姪の理子(まさこ)女王は、8代将軍・吉宗が奇襲藩主時代に迎えた正室。17歳の時に家綱と結婚し、2年後…

東福門院

江戸時代前期の女性。後水尾天皇の中宮で、859年ぶりの女帝となった第109代天皇・明正(めいしょう)天皇の生母。父は2代将軍・徳川秀忠、母は江。徳川家康の内孫にあたり、豊臣秀頼はいとこ、その妻である千姫は姉。名は徳川和子…

徳川光圀

江戸時代前期の大名で常陸水戸藩2代藩主。「水戸黄門」としてドラマなどでも有名。幼名は長丸、字は子龍、号は梅里、神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。「江戸初期の三名君」のひとり(ほか2人は会津藩主・…

徳川秀忠

徳川幕府の2代将軍。幼名は竹千代。別名は江戸中納言、江戸右大将。徳川家康の三男として遠江国浜松にて誕生。母は側室の西郷局。秀忠は三男であったが、長兄・信康が織田信長の命により切腹、次兄・秀康が豊臣秀吉の養子となった(のち…

石井宗謙

幕末の医学者。 現在の岡山県真庭市で医者の子として生まれ、長崎に渡りシーボルトの鳴滝塾で西洋医学とオランダ語を学ぶ。 36歳で美作勝山藩の藩医となり、その後開業。 49歳の時に、同じシーボルトの門弟・二宮敬作の斡旋により…

間部詮勝

鯖江藩第7代藩主。徳川幕府老中首座。 大老・井伊直弼の右腕として、日米修好通商条約の調印や安政の大獄で実績を残し、ついた異名は、「井伊の赤鬼」に並ぶ「間部の青鬼」。 しかし、安政の大獄の捕縛者の処遇を巡り、死罪を含む重罪…

安藤信正

徳川幕府老中をつとめる。老中在職中に信行、さらに信正に改名している。 桜田門外の変で、時の最高権力者・井伊直弼が暗殺されたことをうけて、同僚である老中・久世広周とともに、幕政を取り仕切る立場となる。 政策としては公武合体…

福岡藤次

土佐藩家老。幕末の土佐藩を代表する人物。のち、福岡孝弟(ふくおかたかちか)と名乗る。 若い頃から吉田東洋の少林塾で学問を学ぶ(同門には後藤象二郎や岩崎弥太郎ら)。 吉田東洋の藩政復帰にともない、福岡も要職で抜擢され藩政に…

榎本武揚

通称は榎本釜次郎(えのもとかまじろう)。徳川幕府海軍副総裁(実質トップ)として、徳川幕府艦隊を率いて、宮古湾会戦および函館戦争を起こす。蝦夷共和国の総裁。敵である官軍の黒田清隆との交流エピソードも有名。

徳川家茂

江戸幕府第14代征夷大将軍。将軍就任の前は徳川御三家紀州藩第13代藩主。聡明で幕臣にも慕われていた。勝海舟、曰く「家茂さまの御薨去をもって徳川幕府は滅んだ」。 将軍継嗣問題で井伊直弼ら保守派に担ぎだされたり、公武合体のた…

正親町三条実愛

積極的に宮中工作により、幕末において大きな存在感を持っていた公家である。 通商条約締結の勅許を求める徳川幕府の強引な姿勢に、廷臣八十八卿の一人として抗議活動を展開。結果、井伊直弼が主導する安政の大獄によって刑罰を受ける。…

姉小路公知

尊王攘夷派の公家。日米修好通商条約締結に反対する公家によるまさかの抗議行動(廷臣八十八卿列参事件)の指導者として活動。三条実美とともに江戸の徳川幕府に攘夷実行を催促し、家光以来、約230年ぶりの将軍上洛を実現させるなど時…