藤岡幸夫(フジオカ サチオ)

プロフィール 歌手・アーティスト/指揮者 1962/6/8生まれ ふたご座 A型 東京 177cm 69kg 趣味 水泳 デビュー年 1994年1992年マンェスターにて最も才能のある若手指揮者に贈られるサー・チャールズ…

満寵伯寧まんちょうはくねい

満寵、字を伯寧といい、山陽郡昌邑県の人である。子は満偉、満炳、孫は満長武、満奮がいる。十八歳のとき、郡の督郵となった。当時郡内の李朔らはそれぞれ私兵をかかえ、平民に被害を与えていたため、太守は満寵にとりしまらせた。李朔ら…

朱績公緒しゅせきこうしょ

朱績、字を公緒といい、丹陽の人である。父は朱然、叔父は朱才、娘は施淑女らがいる。元の姓は施氏。父朱然が高位にあったことから郎に任ぜられ、のちに建忠都尉の官を授かった。叔父の朱才が死去すると、朱績がその兵士たちをあずかり、…

賀斉公苗がさいこうびょう

賀斉、字を公苗といい、会稽郡の山陰の人である。父に賀輔、子に賀達、賀景がいる。虞預の『晋書』によると、賀氏は元来、慶氏という姓であった。賀斉の伯父の慶純は、学者として人々から高く評価され、漢の安帝の時代に侍中や江夏太守を…

朱拠子範しゅきょしはん

朱拠、字を子範といい、呉郡の呉の人である。子に朱熊、朱損、朱夫人(孫休の皇后)、同族に朱桓、朱異がいる。風采があがり体力があって、そのうえに人と議論をすることに巧みであった。黄武の初年、召しだされて五官郎中の官を授かり、…

吾粲孔休ごさんこうきゅう

吾粲、字を孔休といい、呉郡の烏程の人である。孫河が烏程県の長であったとき、吾粲はその下役人をつとめ、孫河は彼の非凡さを高く評価した。孫河が後に将軍となり、地方長官たちを自分で任命できるようになると、上表して吾粲を曲阿の丞…

魯粛子敬ろしゅくしけい

魯粛、字を子敬といい、臨淮郡の東城の人である。子に魯淑がいる。生まれるとすぐ父親を亡くし、祖母といっしょに生活をした。家は富裕で、魯粛は好んで人々を経済的に援助した。当時、天下はすでに騒がしくなっており、魯粛は家業をうっ…

李通文達りつうぶんたつ

李通、字を文達といい、江夏郡平春県の人である。子は李緒、李基がいる。おとこぎをもって長江から汝水の地城で有名だった。同郡の人陳恭とともに朗陵において兵をあげた。多くの人々が彼に身を寄せた。当時、周直という者がいて、二千余…

徐晃公明じょこうこうめい

徐晃、字を公明といい、河東郡楊県の人である。子は徐蓋がいる。郡の役人となり、車騎将軍楊奉に従って賊を討伐し功績を立て、騎都尉に任命された。李カク、郭汜が長安を混乱に陥れると、徐晃は楊奉に、天子とともに洛陽に帰ることを進言…

朝比奈隆

世界的な評価も高かった指揮者。大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督も務めた。28歳ではじめて指揮台に立ち、誰からも教わることなく独学で第一線の指揮者となった異色の経歴の持ち主である。

山田耕筰

世界にその名を知られた歴史に残る作曲家。「山田耕作」ともよく表記される。親しみやすい童謡から交響曲、軍歌や校歌まで幅広いジャンルで数多くの名曲を残した。代表曲は童謡『赤とんぼ』『待ちぼうけ』、歌曲『からたちの花』『この道…

近衛秀麿

日本のオーケストラの基礎を築いた指揮者、作曲家。愛称は「おやかた」。政治家で内閣総理大臣にもなった近衛文麿は異母兄にあたる。東京帝国大学文学部を中退後、渡欧しベルリンで指揮を、パリで作曲を学んだ。ヨーロッパ滞在中、自費で…

井口基成

ピアニスト、ピアノ教育家。妻・井口秋子と妹・井口愛子(佐藤愛子)も同じくピアニストでピアノ教育家。高い位置から指を落とし力強く鍵盤を叩く「ハイフィンガー・スタイル」で、あまりにも激しい演奏からピアノの弦が切れたり、演奏中…

藤山一郎

『酒は涙か溜息か』『青い山脈』『長崎の鐘』などのヒット曲を歌った国民的歌手。作曲家、指揮者としても活躍した。本名は増永丈夫。スポーツ選手以外では初となる存命中に国民栄誉賞を受賞した人物としても有名。東京音楽学校予科声楽部…