平田篤胤

江戸時代後期の国学者、神道家、思想家、医者。復古神道(古道学)の大成者で、荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵、本居宣長とともに「国学四大人(しうし)」のひとりに数えられる。幼名は正吉、通称は半兵衛、元服後は胤行のち篤…

池田慶徳

鳥取藩第12代藩主。 水戸藩主・徳川斉昭の五男であったが、鳥取藩前藩主(池田慶栄)が跡継ぎなく急死したため、急遽養子となり藩主に就く。 尊王攘夷派と佐幕派の板挟みにあい藩論統一に苦慮しながらも、藩政改革をすすめ、学問を奨…

千葉重太郎

桶町千葉道場の創始者・千葉定吉(小千葉)の実子。鳥取藩士。 道場生の坂本龍馬を引き連れて、開国論を唱える勝海舟を暗殺しようとするも失敗。これが結果的に勝海舟と坂本龍馬の出会いとなる。 戊辰戦争では、同じ鳥取藩士である河田…

幾松

幕末において京都一と評判の高かった芸妓である。桂小五郎の恋人であり、常に命を狙われる桂を支え続けた。特に、禁門の変で長州藩が敗れ、物乞い姿になり三条大橋の下で身を隠す桂によく握り飯を持参した逸話はあまりに有名。 明治維新…

島義勇

佐賀藩士。佐賀の七賢人の一人。明治維新後、大久保利通が推進する政府の政策に反発。江藤新平とともに佐賀の乱を起こす。最後は捕らえられ斬首。

江藤新平

佐賀藩士。明治維新後は、佐賀の乱を島義勇とともに起こす。

福岡藤次

土佐藩家老。幕末の土佐藩を代表する人物。のち、福岡孝弟(ふくおかたかちか)と名乗る。 若い頃から吉田東洋の少林塾で学問を学ぶ(同門には後藤象二郎や岩崎弥太郎ら)。 吉田東洋の藩政復帰にともない、福岡も要職で抜擢され藩政に…

長岡謙吉

海援隊第二代目隊長(初代は坂本龍馬)。別名は今井純正、号は懐山。 医師の息子として生まれ、幼い頃から蘭学を学び、家業の医師を継ぐため江戸や大阪で医学を学ぶ。長崎では二宮敬作に教えを受けたこともある。 土佐藩脱藩後は、長崎…

谷干城

土佐藩士。明治維新後の、熊本鎮台司令長官として有名。一度、その職を退いたが、西南戦争前に「谷ならば」と、最激戦が予想された熊本県の鎮台司令長官を要請され、返り咲く。谷干城は、中央政府の期待に応え、東京を目指し鹿児島から攻…

坂本龍馬

土佐藩士。のちに脱藩。明治維新に大きな影響を与えた志士。

遠藤謹助

長州五傑(長州ファイブ)のひとり(ほか、伊藤博文・井上馨・井上勝・山尾庸三)。 明治維新後は、官僚として一貫して造幣局に勤める。後に造幣局長。

野村靖

吉田松陰門下の松門四天王のひとり・入江九一の弟。松門四天王はほか、久坂玄瑞・高杉晋作・吉田稔麿)。 明治維新後は岩倉使節団の一員として渡欧。神奈川県令・駅逓総監・逓信次官を歴任し、第2次伊藤内閣では内務大臣を、第2次松方…

前原一誠

長州藩士。吉田松陰の松下村塾門下生。明治維新後の内乱、萩の乱の首謀者としても知られる。

吉田松陰

長州藩士。明治維新の精神的指導者。人材育成の面で、優れた教育者でもある。幼少のころ、叔父の玉木文之進が開塾した松下村塾で、節としての教育を受ける。のち、江戸にでて佐久間象山に指事。

毛利元徳

長州藩の第15代藩主。長州藩最後の藩主でもある。毛利敬親の養子として後継した。明治維新後は、国立銀行頭取や貴族院議員となる。

西郷イト

西郷糸子とも呼ばれる。 西郷隆盛の妻である。西郷の間に、寅太郎・午次郎・酉三の三人の子供に恵まれ、また、西郷が奄美大島に流刑になっていた際に設けた菊次郎も引き取った。 明治維新最大の立役者でありながら西郷家は非常に貧しく…

村田新八

薩摩藩士。寺田屋騒動を煽動したとして、西郷隆盛とともに、島津久光から疑われ、島流し(喜界島)にあう。1866年、長州藩の伊藤博文らとともに上海訪問。明治維新後も、岩倉使節団の一員として欧米視察。生来の器量とともに、豊富な…

桐野利秋

薩摩藩士。軍人。維新前は中村半次郎を名乗っていた。西南戦争を主導したことで知られる。西郷隆盛の右腕であり、護衛役(ボディガード)でもある。西郷の思想と対立する者へ、非情な手段を用いることも厭わなかったことから、ついた異名…

篠原国幹

薩摩藩士。軍人。鳥羽伏見の戦いでは、薩摩藩の城下三番小隊隊長として参戦。上野における彰義隊との戦いでは、もっとも激戦であった正面の黒門口攻めを担当。明治維新後の新政府では陸軍少将。征韓論で敗れた西郷が下野すると、篠原も職…

大久保利通

薩摩藩の出身。大久保一蔵(いちぞう)とも呼ばれる。維新の三傑(西郷、大久保、桂)の一人。小松帯刀とともに、島津久光の側近として藩政改革を推進。幕末の京都政局では、久光を擁立して、公家の岩倉具視と協調。一橋慶喜の将軍後見職…

西郷隆盛

薩摩藩の出身。通称は、西郷吉之介。愛称は西郷どん(せごどん)、西郷さぁ(せごさぁ)、うどさぁ。維新の三傑(西郷隆盛、大久保利道、桂小五郎)の一人であり、明治維新最大の功労者。維新後は、軍人であり政治家。薩摩藩内では下級武…

島津忠義

薩摩藩最後の藩主。第12代藩主であり、島津氏第29代当主。藩内の実権は、父であり後見人にである島津久光に握られる。徳川慶喜と同様、明治維新後は多くの趣味を持つ。(写真撮影や花火作り、乗馬など)。孫に香淳皇后(昭和天皇の皇…

島津久光

明治維新時における薩摩藩の実質的な最高権力者。島津斉彬は異母兄。島津忠義は長男。明治維新後は、薩摩藩内にて絶対的な権力を持ち続ける。元家来の西郷と大久保が断行した廃藩置県(明治4年)に激怒し、自宅庭で花火を打ち続けた逸話…

山川大蔵

会津藩家老。明治以降は山川浩(やまかわひろし)と改名。会津の山川兄弟のひとり。(姉に山川二葉、弟に山川健次郎、妹に大山捨松)。 戊辰戦争では、大鳥圭介率いる旧幕府軍副総督として奮戦。また故郷・会津において、新政府軍に包囲…

飯沼貞吉

白虎隊士(士中二番隊所属)。号は孤舟、孤虎。年齢を偽って白虎隊に参加。会津の地にて政府軍を迎え撃つ。(会津戦争) 敗戦のさなか飯盛山に至り、城下が炎に包まれているのをみて城が陥落したと思い、他の十九士と共に自刃を決意。(…

渋沢栄一

実業家、官僚、教育者である。 幕末においては幕臣として慶喜の弟・徳川昭武に随行してパリ万国博覧会(パリ万博)を視察。その足でヨーロッパ各国を訪問する。 明治維新後、大蔵官僚として財政改革の企画立案、退官後は第一国立銀行や…

徳川慶喜

江戸幕府第15代征夷大将軍。江戸幕府、最後の将軍でもある。将軍就任前は、御三卿・一橋徳川家の第9代当主。 類いまれなる切れ者としてみせた一連の政治的働きは、桂小五郎に「実に家康の再生を見るが如し」と言わしめた。 おもな働…

久我建通

公武合体を模索し和宮降嫁に尽力したため、尊王攘夷派の攻撃対象となった四奸二嬪のひとり(ほか、岩倉具視(左近衛権中将)・千種有文(左近衛権少将)・富小路敬直(中務大輔)、今城重子(少将掌侍)・堀河紀子(右衛門掌侍))。 孝…

岩倉具視

政治的剛腕を発揮して、幕末から明治はじめにかけて、日本のカタチづくりに尽力。幕末のおもな働きとしては、公武合体による朝廷権力の復活を狙った和宮降嫁の推進、奇策・大政奉還でなおも政権掌握を狙った徳川慶喜を完全に失脚させたク…

広瀬宰平

初代住友総理人。幕末に別子銅山の総支配人となる。明治維新の際に新政府からの別子銅山接収のプレッシャー、経営難による身売りから別子銅山を守り、開発近代化を推進した。

井上馨

幕末は、同じ長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞らとともに、攘夷運動に参加する。明治維新後はおもに財政畑で腕をふるい、莫大な借金を背負い船出した明治新政府の財政建て直しに尽力した。