近衛前久

戦国時代から江戸時代にかけて関白左大臣、太政大臣を務めた公家で、近衛家当主。 初名は、晴嗣。前嗣、前久と名を変えた。一字名は、竜・山・杉・春。道号は、竜山。おもな官位は、太政大臣、従一位、准三宮。 近衛前久は、5歳にして…

耳鳥斎

江戸時代に活躍した絵師。生まれは1751年以前、没年は1802-03年といわれる。生前から「浪花の鬼才」として人気を集め、「江戸の写楽、浪花の耳鳥斎」とまでいわれた。現在でもそのユルかわな作風で、展覧会や図録が人気である…

近衛信尹

安土桃山時代から江戸時代前期の公家。初名は信基、のち信輔。号は三藐院(さんみゃくいん)。関白・近衛前久(さきひさ)の子として生まれ、内大臣、左大臣と進み関白を望んだが、豊臣秀吉、秀次に関白職を奪われ心を病むようになり左大…

近衛信尋

江戸時代前期の公家。父は後陽成天皇で第四皇子として生まれた。幼称は二宮、法号は応山(おうざん)。本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と謳われた養父・近衛信尹(のぶただ)に書を学び、能書家として知られた。諸芸に優れ…

お楽の方

江戸時代前期の女性、3代将軍・徳川家光の側室で4代将軍・家綱の生母。別名は高島御前、法名は宝樹院。下野国都賀郡高島村(現・栃木県栃木市大平)にて農民の娘として生まれる。父の死後、母と江戸へ出て13歳の時に家光の乳母・春日…

お振の方

江戸時代前期の女性、3代将軍・徳川家光の側室。御三家のひとつ尾張藩主・徳川光友の正室・千代姫の生母。父は蒲生秀行の家臣・岡重政で、曽祖父は石田三成といわれる。母方の祖母・祖心尼(そしんに)の親類にあたる春日局の養女という…

高坂甚内

江戸時代前期の盗賊、忍者。苗字は向坂、勾坂、向崎とも。江戸吉原遊郭の創始者・庄司甚内、古着市をしきった鳶沢甚内とともに「三甚内」と呼ばれる。もとは甲斐武田家に仕えた甲州流忍者の頭領。武田家滅亡後、江戸へ出て関東を支配する…

進藤源四郎

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。源四郎は通称で、名は俊式(としもと)。赤穂浪士四十七士のリーダー大石内蔵助の母方の大叔父にあたる。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こしたあとは筆頭家老・大石内蔵助派として行…

萱野三平

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。三平は通称で、名は重実(しげざね)。討ち入り前に主君への忠と父への孝の板ばさみとなり切腹した赤穂藩士として有名で、「48番目の義士」ともいわれる。また、「涓泉(けんせん)」と…

間瀬孫九郎

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。父・間瀬久大夫とともに親子で義挙に参加した。孫九郎は通称で、名は正辰(まさとき)。姓名の読みは「まなせまごくろう」という説もある。家督は継いでおらず部屋住みの身だったが、赤穂…

鍋島勝茂

江戸時代初期の大名、肥前国佐賀藩の初代藩主。幼名は伊勢松、通称は伊平太。官位は従五位下信濃守、従四位下侍従。戦国武将・鍋島直茂の子として肥前国佐賀に生まれ、関ヶ原の戦い(1600)では豊臣方の西軍に加わったが徳川家康方の…

遠藤兵内

江戸時代中期の農民。百姓一揆「伝馬騒動」のリーダーで後世“義民”とされた。通称は関村兵内。武蔵国児玉郡関村(現・埼玉県児玉郡美里町)の農民の子として生まれ、学問を地元の住職に学び、村のリーダー的存在へと成長、名主となった…

稲村三伯

江戸時代後期の蘭学者、蘭方医。幼名は龍介、名は箭、字は白羽、号は原昆堂、白髪書生。江戸時代を代表する蘭学者・大槻玄沢の弟子で、橋本宗吉、宇田川玄真、山村才助とともに「芝蘭堂の四天王」と呼ばれた。鳥取藩の町医・松井如水の子…

酒井忠徳

江戸時代中期から後期の大名、出羽国庄内藩の7代藩主。官位は従四位下、左衛門尉、侍従、贈従三位。庄内藩6代藩主・酒井忠温(ただあつ)の子として生まれ、父の死後、跡を継いで7代藩主となった。当時の庄内藩は深刻な財政難にあり、…

莅戸善政

江戸時代中期から後期の武士。米沢藩上杉家の家臣で藩主・上杉鷹山に抜擢され、竹俣当綱(たけのまたまさつな)とともに藩政改革を主導したことで知られる。通称は九郎兵衛、号は太華、好古堂。幼い頃に父を亡くし、17歳の時に祖父から…

稲葉正休

江戸時代前期の旗本、大名。美濃国青野藩の藩主。春日局の子・稲葉正勝の甥にあたる。父・稲葉正吉の死後、その遺領である美濃国青野5000石を継いだ。小姓組番頭、書院番頭、近習を経て若年寄に出世、加増され大名に列するなど順調に…

稲葉正勝

江戸時代初期の大名、老中。常陸国柿岡藩の藩主、下野国真岡藩の2代藩主、相模国小田原藩の初代藩主を務めた。幼名は千熊、通称は宇右衛門、官位は従五位下丹後守。母は3代将軍・徳川家光の乳母として知られる春日局、父は稲葉正成。母…

阿部忠秋

江戸時代前期の大名。下野国壬生藩・武蔵国忍藩の藩主、3代将軍・家光と4代将軍・家綱の2代にわたり老中として仕えた。従兄に同じく老中の阿部重次がいる。旗本・阿部忠吉の子として江戸に生まれ、幼少時から家光に仕え、最終的に老中…

谷文晁

江戸時代後期の画家。名は正安、字と号は文晁、通称は文五郎または直右衛門、別号に写山楼・画学斎・無二・一恕。御三卿のひとつ田安徳川家の家臣で漢詩人としても知られた谷麓谷(ろっこく)の子として、江戸は下谷根岸にて生まれた。文…

鈴木其一

江戸時代後期の絵師、「江戸琳派」の創始者・酒井抱一の高弟で、事実上の後継者。本姓は山本、通称は為三郎、字は子淵、諱は元長、号はほかに薈々、菁々、必庵、錫雲、祝琳、為三堂、鶯巣、元阿など。江戸は中橋にて紺屋の子として生まれ…

穎玄

江戸時代後期の浄土真宗本願寺派の僧。号は法界坊(ほうかいぼう)。近江国鳥居本村(現・滋賀県彦根市)の上品寺の住職の子として生まれ、同寺で修行し父の没後、江戸で暮らしたのち諸国を遍歴し故郷の上品寺に戻ると寺は荒廃していた。…

薬丸兼武

江戸時代後期の剣客。「野太刀自顕流(薬丸自顕流)」の創始者として知られる。通称ははじめ七郎兵衛ついで新蔵、長左衛門。諱は兼尭、兼武。薩摩藩士・久保之英の子として生まれるが、剣術家・薬丸兼富の養子となり薬丸家を継いだ。薬丸…

青木木米

江戸時代後期の絵師、京焼の陶工。永楽保全、仁阿弥道八(にんなみどうはち)とともに「京焼の幕末三名人」といわれる。幼名は八十八(やそはち)、字は佐平、通称は木屋佐兵衛。号はほかに青来、百六散人、古器観、亭雲楼、九九鱗、木米…

麻田剛立

江戸時代中期の天文学者。幼名は庄吉良、名は妥彰(やすあき)、もとの姓は綾部。号ははじめ璋菴(正庵とも、読みはしょうあん)のち剛立。豊後国杵築藩(現・大分県杵築市)の儒学者・綾部安正の子として生まれる。幼い頃から天体に興味…

芦東山

江戸時代中期の儒学者。陸奥国東磐井郡(現・岩手県一関市大東町渋民)の農家に生まれ、幼い頃から秀才ぶりを知られ、15歳で農民の出ながら仙台藩の儒学者となると、19歳の時には藩主に御前講義を行った。藩命により京に遊学し名だた…

祇園南海

江戸時代中期の文人画家、儒学者、漢詩人。桑山玉洲、野呂介石とともに「紀州三大南画家」といわれる。また、服部南郭、柳沢淇園、彭城百川とともに「日本文人画の祖」とされる。本姓は源、名は与一郎、正卿、瑜、字は白玉、通称は余一。…

野呂介石

江戸時代後期の文人画家。祇園南海、桑山玉洲とともに「紀州三大南画家」といわれる。名は休逸のち隆または隆年、字は松齢、通称は弥助のち九一郎、喜左衛門。号はほかに班石、十友窩(じゅうゆうか)、澄湖(ちょうこ)、混斎、台嶽樵者…

釧雲泉

江戸時代後期の南画家。名は就(じゅ)、字は仲孚(ちゅうふ)、通称は文平、号はほかに魯堂、六石(りくせき)、磊落居士など。一般に知られる号の「雲泉」は雲仙岳にちなんだもの。肥前国島原野田名(現・長崎県島原市千々石町)にて島…

福原五岳

江戸時代中期の文人画家。名は元素、字は太初、通称は大助、号はほかに玉峰、楽聖堂など。備後国尾道(現・広島県尾道市)にて生まれ、京に上ると画家・池大雅に入門した。五岳は人物画や山水画を得意とし大雅の高弟として知られるように…

萩野鳩谷

江戸時代中期から後期の儒学者。名は信敏、通称は喜内、号は鳩谷。奇行と高慢さゆえに「天狗」と呼ばれ、自らも「天愚孔平」「天愚斎」と名乗った。出雲国松江藩に代々藩医として仕える萩野家に生まれ、鳩谷も2代の藩主に仕えて藩の重役…

辰松八郎兵衛

江戸時代前期から中期の人形浄瑠璃の人形遣い。本名は不明。大坂の竹本座で創設時から活躍し、「手妻遣い」といわれるアクロバティックな超絶技巧で女形人形遣いとして一世を風靡した。八郎兵衛は手妻芸を人形遣いの山本飛騨掾のもとで修…

鈴木牧之

江戸時代後期の商人、随筆家。幼名は弥太郎、通称は儀三治(ぎそうじ)、雅号は秋月庵、螺耳など。「牧之」は俳号である。越後国魚沼郡塩沢の豪商「鈴木屋」の子として生まれ、幼い頃から俳諧や書画をたしなんだ。19歳の時に家業の手伝…

菅江真澄

江戸時代後期の旅行者、博物学者、随筆家。本名は白井秀雄、幼名は英二、知之。白超とも。三河国渥美郡牟呂村(現・愛知県豊橋市牟呂公文町)にて生まれたといわれる。若い頃の真澄については資料に乏しく詳細は不明。国学や本草学の知識…

荻野検校

江戸時代中期から後期の音楽家。「平曲(へいきょく)」という語りもの音楽のジャンルにおいて平曲譜本の決定版ともいえる『平家正節(へいけまぶし)』を編纂し、「平曲中興の祖」と称えられる。名は知一。安芸国猿楽町(現・広島県広島…