快川紹喜

戦国時代の臨済宗の僧で、武田信玄の招きに応じ恵林寺の住持となった。信玄の道号である「機山」は紹喜が与えたものである。1582年の織田信長による甲州征伐の際は、信長に敵した六角義弼らを恵林寺にかくまったため織田方の焼き討ち…

茶屋四郎次郎

京の豪商・茶屋家の初代当主で、徳川家康の御用商人。 茶屋家は、角倉了以の「角倉家」と後藤庄三郎の「後藤家」とともに「京の三長者」といわれる。茶屋家の当主は代々「茶屋四郎次郎」を名乗り、初代は名を清延という。 早くから徳川…

武田信吉

松平信吉とも。徳川家康の五男で甲斐武田氏の名跡を継いだ大名。幼名は、福松丸、万千代丸。通称は、七郎。信義とも名乗った。 1582年の甲州征伐により甲斐の名門・武田氏は滅亡したが、これを惜しんだ徳川家康は穴山梅雪の嫡男・勝…

近衛前久

戦国時代から江戸時代にかけて関白左大臣、太政大臣を務めた公家で、近衛家当主。 初名は、晴嗣。前嗣、前久と名を変えた。一字名は、竜・山・杉・春。道号は、竜山。おもな官位は、太政大臣、従一位、准三宮。 近衛前久は、5歳にして…

村上義清

信濃国埴科郡葛尾城の城主で、村上氏全盛期の当主。 幼名は武王丸。おもな官位は、右京権亮、佐渡守、左衛門尉、左衛門佐、周防守、左馬頭、信濃守、兵部大輔、左近衛少将、従五位下、従四位下、正四位。 葛尾城主・村上顕国の子として…

大道寺政繁

後北条氏の家臣で北条氏康、氏政、氏直の3代に仕えた。 相模鎌倉代官、武蔵河越城主、武蔵岩槻城代を務めた人物で当主からの信頼もあつかった。幼名は孫九郎。別名は政重。通称は大道寺駿河守。官位は駿河守。「河越衆」と呼ばれる軍団…

誠仁親王

第106代天皇・正親町天皇の第五皇子。院号は陽光院。追尊は陽光太上天皇。1568年に親王宣下を受けた。 織田信長とは親密な関係を築いており、信長から二条新御所を献上されそこを屋敷とした。1582年の本能寺の変の際、誠仁親…

吉田兼見

京の吉田神社の神主で吉田神道の神道家。 初名は兼和。おもな官位は従二位神祇大副。細川藤孝(幽斎)は従兄弟で、兼見の子・兼治の妻は藤孝の娘。また、織田信長や明智光秀とも親交が深く、1582年の本能寺の変後、光秀から吉田神社…

太田牛一

織田信長の伝記『信長公記』の著者。 通称は又助。抜群の弓の腕前で「弓三張」のひとりに数えられ、1564年の美濃堂洞城攻めでは得意の弓で武功を挙げたという。だがその後は武者働きではなく内政面で活躍し政治手腕を発揮した。15…

松井友閑

出身国については諸説ある。 官位は宮内卿法印。織田信長の側近で茶道に造詣が深く目利きとして知られていたことから、信長上洛後、京や堺で豪商らに名物の茶器を供出させたいわゆる「名物狩り」の奉行を務めたという。また、1574年…

村井貞勝

織田信長の側近中の側近で、京都所司代を務めた。 通称は吉兵衛。号は春長軒。おもな官位は長門守、民部少輔、民部丞。 早くから織田信長に仕え、行政手腕に秀でていたことから重用された。1568年に信長が足利義昭を擁して上洛した…

織田信包

織田信秀の息子で、織田信長の弟。 初名は信良。通称は三十郎。別名は信兼。号は老犬斎。主な官位は上野介、左中将、従三位。丹波国柏原藩の初代藩主でもある。 1569年、織田信長が北伊勢を制圧すると、兄・信長の命により長野氏に…

織田有楽斎

織田信長の弟のひとりで、武将としてよりも茶人として名高く利休十哲のひとり。 本名は織田長益。通称は源五。有楽斎如庵と号し、有楽、有楽斎と称される。おもな官位は侍従、従四位下。前半生は不明な点が多い。 1582年の本能寺の…

大久保長安

能役者から徳川幕府の勘定奉行、老中に昇りつめた異色の人物。 通称は藤十郎、十兵衛。おもな官位は従五位下石見守。長安は1545年、武田信玄お抱えの猿楽師・大蔵太夫金春七郎喜然の息子(次男)として誕生した。 信玄からその素質…

北条氏直

後北条氏の五代当主で戦国時代における最後の小田原城城主。 父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院、妻は徳川家康の娘・督姫。武田勝頼の甥にあたる。幼名は国王丸。通称は新九郎。別名は見性斎。おもな官位は左京大夫、従五位下。 …

前田玄以

豊臣政権のいわゆる「五奉行」のひとり(ほかは、浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家)で、京都奉行を務めた。 初名は基勝。通称は孫十郎。号は半夢斎、徳善院。一般的に知られている「玄以」は法名である。官位は民部卿法印。 前…

安国寺恵瓊

臨済宗の僧で、僧籍のまま大名になった異色の人物。 「安国寺」とは恵瓊が住持した寺の名である。幼名は竹若丸。法名は恵瓊。号は一任斎。安芸国の守護大名・武田氏の出身といわれる恵瓊は、安芸国の安国寺に入って出家、その後、京の東…

細川忠興

室町幕府の幕臣・細川藤孝の息子(長男)。正室は父・藤孝の盟友でもあった明智光秀の娘・玉子(細川ガラシャ)。豊前国小倉藩の初代藩主でもある。また、父・藤孝と同じく文化人としても知られ、利休七哲のひとりであり、茶道の流派・三…

佐久間盛政

幼名は理助。その勇猛さから「鬼玄蕃」とあだ名された。官位は玄蕃允。父は織田信長の家臣・佐久間盛次、母は柴田勝家の姉。織田家筆頭家臣だった佐久間信盛は盛政の叔父にあたる。 佐久間盛政は父と同じく織田信長に仕え、1568年の…

毛利輝元

豊臣五大老のひとり(ほかは、徳川家康、前田利家、上杉景勝、宇喜多秀家)。長州藩初代藩主。 幼名は幸鶴丸。別名は少輔太郎。通称は安芸中納言。号は幻庵(宗瑞とも)。おもな官位は右衛門督、右馬頭、従四位下侍従、参議従三位権中納…

斎藤利三

徳川幕府三代将軍・家光の乳母である春日の局の父としても知られる。 通称は内蔵助。「美濃の蝮」と呼ばれた斉藤道三の息子・義龍に仕え、その後、西美濃三人衆のひとり稲葉一鉄の家臣となったが不仲により一鉄の下を離れ、明智光秀に仕…

織田信雄

織田信長の息子(次男)。 幼名は茶筅丸。通称は三介。尊称は御本所。号は常真。北畠家の養子時代は、北畠具豊、信意と名乗り、その後、織田信勝とも名乗った。叔父の織田有楽斎から茶を学び茶人としても知られるだけでなく、能の名手で…

井伊直政

いわゆる「徳川四天王」のひとり(ほか、酒井忠次、榊原康政、本多忠勝)。また、徳川十六神将のひとりでもある。 幼名は虎松、万千代。あだ名は、井伊の赤鬼、人斬り兵部。おもな官位は兵部大輔、侍従贈従三位、従五位下、従四位下。上…

羽柴秀勝

織田信長の息子(4男)で、のちに羽柴秀吉の養子となった。幼名は於次(於次丸)。別名は丹波少将、丹波中納言とも。おもな官位は権中納言、左近衛権少将、従三位。詳細は不明だが、1586年頃の誕生と思われる。秀勝は最初、秀吉領の…

真田信之

幼名は源三郎。初名は信幸。別名は一当斎。おもな官位は伊豆守、従五位下。父は真田昌幸、弟は真田幸村(信繁)。 父・昌幸が武田氏に仕えていたため、少年期を武田氏の人質として過ごした。1582年に主家である武田氏が滅亡すると真…

真田昌幸

幼名は源五郎。改称し武藤喜兵衛、真田昌幸と名乗った。おもな官位は阿波守、従五位下。真田信之、真田幸村(信繁)兄弟の父としても有名。 昌幸は6歳の時に人質として甲斐国へ行き、武田信玄に仕えるようになった。この間に武田家と縁…

京極高次

幼名は小法師。別名は羽柴大津宰相、京極侍従、京極若狭守。あだ名は蛍大名。官位は従三位参議。母は浅井長政の姉・京極マリアで、正室は浅井長政の娘たち「浅井三姉妹」の次女・初。 京極高次は、十五代将軍・足利義昭に仕えていた北近…

細川幽斎

細川藤孝でも知られる。幼名は萬吉。通称は与一郎。号は幽斎玄旨。おもな官位は兵部大輔、大蔵卿法印。 将軍・足利義輝に仕えていたが、義輝が松永久秀らに暗殺されると幽閉されていたその弟・義昭を救出し、朝倉義景や織田信長らに助力…

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