ルイスフロイス

1532年にポルトガルのリスボンで誕生。16歳の時にイエズス会に入会した。1563年、念願だった日本への来日を果たし布教活動を開始、1569年に織田信長と初めて対面し、その信頼を得て畿内での布教を許された。織田信長の没後…

島津義久

薩摩の戦国大名・島津氏16代当主で、有能な3人の弟(義弘、歳久、家久)とともに九州平定を目指し島津氏最大版図を築いた。 幼名は虎寿丸。忠良、義辰、義久と改名し、法号は龍伯。通称は三郎左衛門尉。別名は又三郎。おもな官位は、…

大友義統

豊後大友氏22代当主。父は大友宗麟。幼名は長寿丸。別名は五郎。黒田孝高(如水)の強い勧めで一時キリスト教の洗礼を受け、コンスタンチノという洗礼名を授かった(のち棄教)。おもな官位は従五位下左兵衛督。 大友義統は、1576…

新発田重家

蒲原郡新発田城主。仮名は源太。受領名は因幡守。 はじめ五十公野家を相続し五十公野治長と称したが、兄・長敦の死をうけ新発田家を相続し新発田重家を名乗った。上杉謙信に仕え川中島合戦や関東出兵に参加した。1578年に謙信が後継…

津田宗及

天下三宗匠のひとり(ほかは、千利休、今井宗久)。名は助五郎。号は天信、幽更斎。実家の屋号から「天王寺屋宗及」とも呼ばれる。 津田宗及は、堺の豪商・天王寺屋津田宗達の子として誕生し、武野紹鴎の門人だった父から茶の湯を学んだ…

脇坂安治

賤ヶ岳の七本槍のひとり(ほかは、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、平野長泰、糟屋武則、片桐且元)。 伊予国大洲藩の初代藩主でもある。初名は甚内。号は臨松院。おもな官位は淡路守、中務少輔、従五位下。 1569年に明智光秀の与力…

加藤嘉明

賤ヶ岳の七本槍のひとり(ほかは、福島正則、加藤清正、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元)。 陸奥国会津藩の初代藩主でもある。初名は茂勝。通称は孫六、左馬助。おもな官位は、左馬助、従五位下、従四位下、侍従。少年期に羽柴…

吉川広家

吉川元春の息子(3男)で祖父は毛利元就。 幼名は才寿丸。経信、経言とも名乗った。別名は次郎五郎、又次郎、蔵人頭。おもな官位は従四位下民部少輔、侍従。 広家は3男だったが、父と兄が相次いで死去したため1587年に吉川家の家…

細川忠興

室町幕府の幕臣・細川藤孝の息子(長男)。正室は父・藤孝の盟友でもあった明智光秀の娘・玉子(細川ガラシャ)。豊前国小倉藩の初代藩主でもある。また、父・藤孝と同じく文化人としても知られ、利休七哲のひとりであり、茶道の流派・三…

千利休

茶の湯を大成した茶人で、「茶聖」とも称せられ天下三宗匠のひとり(ほかは、今井宗久、津田宗及)。 幼名は与四郎。法名は宗易、抛筌斎(ほうせんさい)。一般的に知られている利休の名は、1585年に正親町天皇から下賜された居士号…

結城秀康

幼名は於義丸。別名は越前卿、越前黄門、越前宰相、越前少将。おもな官位は、三河守、権中納言、正三位、贈正二位。 徳川家康の次男で、母は側室の於万の方。秀康は生まれた時から父・家康に嫌らわれており、長兄・信康のとりなしでよう…

黒田長政

幼名は松寿丸。通称は吉兵衛。洗礼名はダミアン。おもな官位は甲斐守、筑前守、従五位下、従四位下。父は豊臣秀吉の名軍師として名高い黒田孝高(官兵衛、如水)。 1568年12月3日に黒田孝高の嫡男として誕生した黒田長政は、15…

細川ガラシャ

本名は玉子(たまこ)または、たま。明智光秀の娘。戦国時代における美女としても有名。 父・光秀の主君である織田信長のすすめで、細川藤孝の嫡男・細川忠興に嫁いだ。本能寺の変後は「逆臣の娘」となってしまうが、夫・忠興との絆は深…