鍋島直茂

「肥前の熊」と呼ばれた龍造寺隆信の右腕的存在で、佐賀藩の藩祖。 幼名は彦法師丸。通称は孫四郎。別名は左衛門大夫。信安、信真、信昌、信生、直茂と何度も改名した。あだ名は、「龍造寺の仁王門」「老虎」。おもな官位は、飛騨守、加…

柿崎景家

越後柿崎城主で、上杉謙信の七手組大将のひとり。仮名は弥次郎。受領名は和泉守。 はじめ長尾為景に仕えたが、為景が没すると長尾晴景に仕え、その子・景虎(上杉謙信)に仕え重用された。文武両道に優れた武将で、軍事面では先手組30…

尼子勝久

幼名は孫四郎。1553年に新宮党尼子誠久の息子(5男)として誕生したが、翌1554年、祖父・国久と父・誠久が尼子宗家の権力強化を狙う尼子晴久によって粛清されてしまう。勝久は難を逃れ、京の東福寺で出家し僧となった。 それか…

朝倉義景

越前に君臨した戦国大名・朝倉氏最後となる十一代当主。 父は朝倉孝景、母は武田氏の一族の娘。幼名は長夜叉。初名は孫次郎延景。おもな官位は従四位下左衛門督。義景は1533年9月24日に朝倉氏十代当主・朝倉孝景の息子(長男)と…

大久保忠隣

徳川十六神将のひとりとして知られる大久保忠世の息子(長男)。小田原藩の初代藩主でもある。 幼名は千丸。通称は新十郎。号は渓庵道白。忠隣は10歳の時から徳川家康に仕え、その家臣として1570年の姉川の戦い、1572年の三方…

榊原康政

いわゆる「徳川四天王」のひとり(ほか、酒井忠次、井伊直政、本多忠勝)。また、徳川十六神将でもある。なお、本多忠勝とは同い年である。 幼名は於亀(亀丸とも)。通称は小平太。おもな官位は従五位下式部大輔、贈正四位。 榊原康政…

酒井忠次

「徳川四天王」の筆頭(ほか、井伊直政、榊原康政、本多忠勝)。また、徳川十六神将の筆頭でもある。 幼名は小平次。通称は小五郎、左衛門尉。号は一智。おもな官位は従四位下左衛門督。松平氏の譜代家臣・酒井忠親の息子(次男)。忠次…

鳥居元忠

通称は彦右衛門尉。徳川家康の祖父・松平清康、父・松平広忠、家康と松平家3代に仕えた鳥居忠吉の息子(3男)。 下総国香取郡矢作藩の藩祖でもある。なお、『忠臣蔵』で有名な大石内蔵助(良雄)は元忠の子孫である。元忠は家康が今川…

築山殿

本名は瀬名。別名を鶴姫、築山御前、駿河御前とも。 徳川家康の正室で、松平信康や亀姫を産んだ。築山殿は室町幕府の重鎮・今川貞世の血を引く名家の姫で、今川義元の姪である。 家康と結婚したのは1557年のことで、当時、家康は今…

松平信康

徳川家康の長男である。 幼名は竹千代。通称は岡崎三郎。母は今川義元の姪である築山殿。 幼少期は今川氏の人質として駿府で過ごし、桶狭間の戦い後の1561年、岡崎城へと戻った。1567年にはわずか9歳で同じく9歳の織田信長の…

伊達輝宗

幼名は彦太郎(のちに総次郎)。おもな官位は左京大夫、従四位下。正室は最上義光の妹・義姫。「独眼竜」政宗の父としても知られ、政宗の教育に熱心だったという。 1565年頃に家督を継いだが、父・伊達晴宗との対立や重臣である中野…

森可成

別名は満・与三・三左衛門尉・三左衛門。織田信長の小姓・森蘭丸の父としても有名。 早くから織田信長に仕え、信長の家督相続や尾張国統一などに尽力した。数々の戦功により1565年には美濃国の金山(兼山)城を与えられた。信長上洛…

顯如

本願寺第十一世法主。各地の大名支配を脅かした一向一揆を掌握しつつ、細川家や公家との姻戚づくりを進めることで、大名に匹敵する支配力を持つ。本願寺教団は顕如の時代に最盛期を迎える。 1570年には織田信長と開戦。将軍・足利義…

織田信長

戦国の三英傑のひとり(ほか、豊臣秀吉・徳川家康)。 幼名は吉法師。通称は三郎。おもな官位は上総介(読み方 かずさのすけ)・右大臣(右府)。 あだ名は第六天魔王、大うつけ、赤鬼。号は建勲。織田信長は、尾張国の戦国大名・織田…