永井荷風

永井荷風

明治から昭和にかけて活躍した文豪。随筆家でもある。本名は永井壮吉。号は金阜山人、断腸亭主人、石南居士など。1902年、傾倒していたフランスの小説家エミール・ゾラの影響を受けた『地獄の花』を刊行、同作は森鴎外に絶賛され出世作となった。アメリカ、フランスを外遊してのち、『あめりか物語』『ふらんす物語』『冷笑』『深川の唄』などの傑作を次々と発表、新進作家として注目されるようになりやがて耽美派の中心的存在へとなっていった。また、慶應義塾大学文学部で教鞭をとるかたわら、雑誌『三田文学』を創刊したり、木下杢太郎らの「パンの会」に参加するなど精力的な活動を見せた。その後、「偏奇館」と名づけた自宅で創作活動に没頭し『腕くらべ』などの名作を世に送り出した。1952年には文化勲章を受章、翌年には日本芸術院会員に選ばれた。1959年、市川市の自宅で遺体が発見されるという孤独な最期を迎えた。江戸と色街を愛し、歌舞伎や落語にも精通していた。

反応