古川ロッパ(緑波)

古川ロッパ(緑波)

「喜劇王」と呼ばれた昭和を代表するコメディアン。編集者、エッセイストでもある。本名は古川郁郎。舞台活動では「ロッパ」、文筆活動では「緑波」と芸名を使い分けていた。早稲田大学を中退後、雑誌編集のかたわら1926年、活動弁士・徳川夢声らと「ナヤマシ会」を結成し演芸活動をスタート、声帯模写の芸を得意とした。その後、喜劇役者に転向し、1933年には劇団「笑の王国」を旗揚げした。ロッパの上品で知的な芸風は一世を風靡、同じく「喜劇王」と称されたエノケンこと榎本健一と人気を二分し一時代を築き上げた。またその美声を活かし数多くのレコードを発表、特に『ネクタイ屋の娘』などコミックソングを得意としていた。1935年、東京丸の内に進出し「古川ロッパ一座」を結成、絶頂期を迎えた。戦後、その人気は凋落していき、さらに持病の糖尿病に苦しめられるなど苦境にあった。そして、1960年、舞台公演中に倒れ、翌年、肺炎と全身衰弱のため他界した。

反応