赤木圭一郎
「トニー」の愛称で親しまれた映画俳優。本名は赤塚親弘(ちかひろ)。1958年に日活第4期ニューフェイスとして日活に入社、石原裕次郎主演の映画『紅の翼』でエキストラとして出演しデビューを果たした。彫りの深い西洋風のルックスと退廃的な雰囲気から注目されるようになり、1959年には鈴木清順監督の映画『素っ裸の年令』で主演に抜擢された。その後、青春アクションスターとして『拳銃無頼帖シリーズ』や『霧笛が俺を呼んでいる』など20本以上のアクション映画に出演し、石原裕次郎、小林旭に続く「第三の男」と呼ばれるまでになった。だが、1961年2月14日、撮影中だった映画『激流に生きる男』の昼休みにゴーカートを運転していたところブレーキとアクセルを踏み間違え倉庫の鉄扉に激突、緊急搬送されたが2月21日、硬膜下出血のため帰らぬ人となった。21歳というあまりにも早すぎる死であった。
反応