森田勝
山にとりつかれ山で死んだ孤高の登山家。少年時代に山と出会い、1959年、東京緑山岳会に入会すると谷川岳でのクライミングに没頭した。1967年、海外遠征に費用不足で参加できなかったかわりに、冬期登攀は不可能といわれていた谷川岳滝沢第三スラブへの登攀を企画。あまりに無謀として山岳会から脱会を言い渡されたが森田は計画を実行し、1967年2月25日、初登攀に成功した。その2年後、アルプス三大北壁(アイガー、マッターホルン、グランド・ジョラス)を冬の間に登攀するという挑戦のため、木村憲司らとともにヨーロッパへの初海外遠征を果たす。しかし、頂上を目の前にして木村が転落、救助されたものの三大北壁登攀への挑戦はここで終わった。1972年、プロの登山家となると、翌年にはのちにライバルとなる長谷川恒男も参加したエベレスト遠征に参加、さらに1976年にはK2登山隊に参加した。だが、このK2登山の際、第2次アタック隊にまわされたことを不満に思った森田は、体調を理由に下山するという造反を起こした。一方、ライバルの長谷川恒男はアイガー北壁冬季単独登頂を世界で初めて成功させ、グランド・ジョラス北壁への冬季単独登頂を目指していた。これに焦った森田は、1978年12月8日、グランド・ジョラス北壁の冬季単独登頂を目指し、翌年、アタックを開始した。悪天候のため一度は断念するも、2月18日、再度アタックをかける。しかし、休憩中にフックが外れ50mも落下、意識を失ってから4時間を目を覚ますが宙吊り状態のうえ、左足骨折、胸部打撲という状態だったが、森田は右手と右足さらに歯を使って死と隣り合わせの登攀を行い、奇跡の生還を果たした。一方の長谷川はグランド・ジョラス北壁も攻略し、アルプス三大北壁の冬季単独登頂を世界で初めて成功させるという偉業を成し遂げた。グランド・ジョラス北壁冬季単独登頂をあきらめきれない森田は、1980年、骨折した左足が完治しないままグランド・ジョラス登攀を開始した。しかし、登攀から5日後、森田は消息を絶った。翌日、森田は発見されたがすでに遺体となっていた。夢枕獏の小説『神々の山嶺』の主人公・羽生丈二のモデルでもある。
反応