野平祐二
「ミスター競馬」と呼ばれた騎手、調教師。生涯成績は7279戦1339勝。父・野平省三、孫・二本柳壮もともに騎手。1944年に騎手免許を取得すると数ヵ月後に初勝利をあげ、1952年、スプリングステークスで重賞初勝利を飾った。その後も順調に勝利を重ね、1957年には公認競馬・中央競馬を通じて初となる年間100勝をマークし、翌年には中央競馬における年間最多記録の121勝をマークするという快挙を成し遂げた。さらに1959年には中央競馬のリーディングジョッキーとしてオーストラリアで開催された国際競争に招かれ参加、日本人騎手では初となる国外勝利を収めた。これにより海外に目を向けるようになり、1967年にスピードシンボリで春の天皇賞を制すると、同馬でアメリカ、イギリス、フランスと次々に海外遠征にのぞんだ。だが、めざましい成績を残すことはできず海外の壁のあつさを痛感することになった。1975年、カーネルシンボリに騎乗し目黒記念を制すると、同年、騎手を引退した。調教師に転向したあとは、のちに三冠馬となるシンボリルドルフを管理、「競馬には絶対はないがシンボリルドルフには絶対がある」という発言は有名。定年により調教師を引退した翌年の2001年8月6日、肺炎のため他界した。
反応