太地喜和子

太地喜和子

本名の読み方は「だいじきわこ」。1959年に東映ニューフェイス第6期に合格して、芸名・志村妙子(しむらたえこ)としてデビューするも、なかなか芽は出なかった。1967年、文学座に入団。翌年、映画監督・新藤兼人に注目され、『藪の中の黒猫』に出演すると、一躍注目をあびる。
天才肌の女優であり、周囲から大女優・杉村春子の後継者として期待され、舞台作品『欲望という名の電車』、『近松心中物語』、『唐人お吉』などで高い評価を受ける。また、恋多き女優として知られ三國連太郎、中村勘三郎、尾上菊五郎、志村けんなどと噂になるも、独身を通した(若い頃、短期間結婚をするも離婚をしている)。
1992年、舞台『唐人お吉』の公演で訪れてた静岡県伊東市にて、自動車事故により水死。乗車していた自動車が海に転落したが、飲酒していた太地は逃げ後れ水死した。人気女優の突然の死は世間に衝撃をあたえ、その早すぎる死にTVでは追悼番組がくまれた。

反応