ディエゴ・マラドーナ

ディエゴ・アルマンド・マラドーナ(スペイン語: Diego Armando Maradona, 1960年10月30日 – )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラヌース出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワードまたはミッドフィールダー。

ペレ、ヨハン・クライフ、フランツ・ベッケンバウアー、アルフレッド・ディ・ステファノ、ジーコなどと共に20世紀のサッカー史に名を残すスター選手である

アルゼンチン・リーグ史上最年少でプロデビューし、ボカ・ジュニアーズを経て欧州に渡った。FCバルセロナではさまざまな問題に悩まされたが、SSCナポリではセリエA優勝2回、UEFAカップ優勝1回の立役者となり、「ナポリの王様」としてファンに愛された。セビージャFC、ニューウェルズ・オールドボーイズ、ボカ・ジュニアーズでの在籍は短期間に終わり、1997年に現役引退した。引退から時間が経った現在でも彼の信奉者はファン、選手、サッカー関係者を通じて多く特にアルゼンチンでは彼を「神の子」と崇拝する宗教が生まれ、ナポリでは旧市街に彼を讃える祭壇が設けられているほどである。

1977年に歴代最年少でアルゼンチンフル代表にデビューし、1979年にはU-20アルゼンチン代表としてFIFAワールドユース選手権で優勝して大会最優秀選手に選ばれた。FIFAワールドカップには1982年大会から4大会連続で出場し、1986 FIFAワールドカップではチームを牽引して優勝に導いた。準々決勝のイングランド戦で見せた「神の手」ゴールと「5人抜き」ドリブルは彼を象徴するプレーとして後世に語り継がれている。1994 FIFAワールドカップでは大会中のドーピング検査で陽性と判定され大会から追放処分を受けた。

選手時代からたびたび違法薬物の使用が取り沙汰され、現役引退後は入退院を繰り返した。2008年にアルゼンチン代表監督に就任し、2010 FIFAワールドカップ南米予選を辛くも突破したが、本大会では準々決勝で敗れ、2010年7月に解任された。

ディエゴ・マラドーナ
アル・ワスルの監督時代 (2012年)
名前
本名 ディエゴ・アルマンド・マラドーナ
Diego Armando Maradona
愛称 Pelusa (毛深い奴/縮れ髪)
El Pibe de Oro (ゴールデンボーイ)
神の子
ラテン文字 Diego MARADONA
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1960-10-30) 1960年10月30日(58歳)
出身地 ラヌース
身長 165cm
選手情報
ポジション FW / MF
利き足 左足
ユース
1968-1969 エストレージャ・ロハ
1970-1974 ロス・セボジータス
1975-1976 アルヘンティノス・ジュニアーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1982 アルヘンティノス・ジュニアーズ 166 (116)
1981-1982 → ボカ・ジュニアーズ(loan) 40 (28)
1982-1984 バルセロナ 36 (22)
1984-1991 ナポリ 188 (81)
1992-1993 セビージャ 26 (5)
1993-1994 ニューウェルズ・オールドボーイズ 5 (0)
1995-1997 ボカ・ジュニアーズ 30 (7)
通算 491 (259)
代表歴
1977-1979 アルゼンチン U-20 24 (13)
1979-1994 アルゼンチン 91 (34)
監督歴
1994 マンディユー・デ・コリエンテス
1995 ラシン・クラブ
2008-2010 アルゼンチン
2011-2012 アル・ワスル
2013-2017 CDリエストラ(アシスタントコーチ)
2017-2018 アル・フジャイラ
2018- ドラドス・デ・シナロア

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