ニール・フレーザー
ニール・フレーザー(Neale Fraser, 1933年10月3日 – )は、オーストラリア・メルボルン出身の男子テニス選手。1960年のウィンブルドン選手権優勝者で、全米選手権でも1959年と1960年に大会2連覇を達成した。また、ダブルスでもロイ・エマーソンとのペアで「キャリア・グランドスラム」を達成している。左利きの選手。身長185cmの長身から繰り出す、爆弾のようなサーブと強力なボレーを最大の持ち味にした。彼の全盛時代から、空前絶後の厚い選手層を誇ったオーストラリア・テニス界の黄金時代が始まった。
フレーザーは1955年から、男子テニス国別対抗戦・デビスカップのオーストラリア代表選手となった。1957年に地元の全豪選手権で男子シングルス・男子ダブルスの2部門に初の決勝進出を果たし、シングルスではアシュレー・クーパーに敗れて準優勝になったが、ルー・ホードとのダブルスで初優勝を果たす。同年の全米選手権では、全豪決勝で敗れたクーパーとペアを組んで男子ダブルス初優勝を飾り、以後フレーザー&クーパー組は翌1958年の全仏選手権まで4大大会男子ダブルス「3連勝」を達成した。1959年と1960年に、ニール・フレーザーは選手経歴の絶頂期を迎える。この年から、フレーザーはダブルスでロイ・エマーソンとペアを組むようになった。年頭の全豪選手権では、シングルス決勝でアレックス・オルメド(ペルー)に敗れて2度目の準優勝になったが、ウィンブルドン選手権の男子ダブルスで、エマーソンとのペアで初優勝を果たす。続く全米選手権で、フレーザーは男子シングルス・男子ダブルスの単複2冠を獲得し、シングルス決勝では全豪で敗れたオルメドに 6-3, 5-7, 6-2, 6-4 で雪辱を果たして、4大大会の男子シングルスに初優勝を飾った。男子ダブルスでも2年ぶり2度目の優勝を果たすが、パートナーはエマーソンであった。
1960年度の4大大会は、全仏選手権を除く3大会で、ニール・フレーザーとロッド・レーバーが“左利き対決の決勝”を戦った。全豪選手権ではレーバーが 5-7, 3-6, 6-3, 8-6, 8-6 で勝ち、フレーザーに2セット・ダウン(先に相手に2セットを取られた状態)からの逆転勝利を収める。フレーザーは全豪選手権で3度の準優勝に終わり、とうとう地元ではシングルス優勝を果たせなかった。ウィンブルドン選手権決勝ではフレーザーがレーバーに 6-4, 3-6, 9-7, 7-5 で勝ち、全米選手権でも 6-4, 6-4, 9-7 でフレーザーが勝った。後に男子テニス史上2人目の「年間グランドスラム」達成者となるレーバーにとって、キャリアの最初期に壁となったのが同じ左利きで、5歳年上の先輩に当たるフレーザーであった。全米選手権では、フレーザーはエマーソンとの男子ダブルスでも2連覇を果たし、2年連続で単複2冠を獲得した。そしてついに、1962年の全豪選手権男子ダブルス決勝で、フレーザー&エマーソン組はボブ・ヒューイット(当時はオーストラリア国籍、後に南アフリカへ移住する)&フレッド・ストール(オーストラリア)組を 4-6, 4-6, 6-1, 6-4, 11-9 で破り、同一ペアで「キャリア・グランドスラム」を完成させた。フレーザーの4大大会男子ダブルス優勝は総計「11勝」となったが、最初の4勝(初優勝はルー・ホードと、その後アシュレー・クーパーと3連勝)を除く「7勝」をエマーソンとのペアで獲得したことになる。
フレーザーは混合ダブルスでも、全仏選手権を除く3大会で優勝があり、この部門で通算「5勝」を獲得した。1956年全豪選手権の優勝パートナーはベリル・ペンローズであった。1958年から1960年にかけて、フレーザーはマーガレット・オズボーン・デュポン(アメリカ)と組んで全米選手権の混合ダブルス3連覇を達成した。1962年のウィンブルドン選手権混合ダブルスで優勝した時、(フレーザーとは15歳年上にあたる)オズボーン・デュポンは44歳の高齢を迎えていた。
ニール・フレーザー
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基本情報 | |
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フルネーム | Neale Andrew Fraser |
国籍 | オーストラリア |
出身地 | 同・メルボルン |
生年月日 | 1933年10月3日(85歳) |
身長 | 185cm |
利き手 | 左 |
バックハンド | 片手打ち |
殿堂入り | 1984年 |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | 準優勝(1957・59・60) |
全仏 | ベスト4(1958・62) |
全英 | 優勝(1960) |
全米 | 優勝(1959・60) |
優勝回数 | 3(英1・米2) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 優勝(1957・58・62) |
全仏 | 優勝(1958・60・62) |
全英 | 優勝(1959・61) |
全米 | 優勝(1957・59・60) |
優勝回数 | 11(豪3・仏3・英2・米3) |
4大大会最高成績・混合ダブルス | |
全豪 | 優勝(1956) |
全英 | 優勝(1962) |
全米 | 優勝(1958-60) |
優勝回数 | 5(豪1・英1・米3) |
国別対抗戦最高成績 | |
デビス杯 | 優勝(1959-62) |
反応