柏尾誠一郎
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柏尾 誠一郎(かしお せいいちろう、1892年1月2日 – 1962年12月16日)は、大阪府出身の男子テニス選手。1920年のアントワープ五輪において、テニスの男子ダブルスで熊谷一弥とペアを組み、日本人のスポーツ選手として史上初のオリンピック・メダルを獲得した選手として知られている。
1892年、大阪府に生まれる。旧制大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を経て、1913年に東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。後にテニスの国際舞台でも活躍した清水善造は、柏尾と同じ東京高等商業学校庭球部のライバルであった。
大学卒業後三井物産に入社し、上海、ニューヨーク、リヨンの駐在員として働いたのち、横浜支店生糸部総務掛として勤務。職務の傍ら1918年と1919年の2度全米選手権の男子シングルスに出場したが、1918年は3回戦、1919年は2回戦で敗退している。
1920年のアントワープ五輪で、柏尾は男子シングルスとダブルスの2部門に出場した。シングルスでは3回戦で敗退したが、熊谷一弥とペアを組んだダブルスで決勝進出を果たす。金メダルをかけた決勝戦では、イギリスのマックス・ウーズナム&オズワルド・ターンブル組に 2-6, 7-5, 5-7, 5-7 で敗れた。こうして柏尾誠一郎は日本人のスポーツ選手として、史上初めてのオリンピック・メダルを獲得した選手になり、オリンピックの歴史にも名前を残すことになった。なお、アントワープ五輪でメダルを獲得した日本人選手は、熊谷と柏尾の男子テニス1種目のみであった。(熊谷本人は後日、単複の銀メダルについて「日本代表選手として勝つべき試合に敗れ、悲憤痛恨の涙に暮れた」と回想している。)
柏尾誠一郎
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基本情報 | ||||||||||
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国籍 | 日本 | |||||||||
出身地 | 同・大阪府 | |||||||||
生年月日 | 1892年1月2日 | |||||||||
没年月日 | 1962年12月16日(70歳没) | |||||||||
死没地 | 同・東京 | |||||||||
4大大会最高成績・シングルス | ||||||||||
全米 | 3回戦(1918) | |||||||||
獲得メダル | ||||||||||
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反応