熊谷一弥
熊谷 一弥(くまがい いちや、1890年(明治23年)9月10日 – 1968年(昭和43年)8月16日)は、福岡県大牟田市出身の男子テニス選手。旧漢字表記では 熊谷 一彌 と書く。
熊谷は日本テニス界の黎明期を築き、清水善造と共に日本人テニス選手の世界挑戦への道を開拓した選手のひとりである。1918年(大正7年)の全米選手権において日本人テニス選手として史上初のグランドスラムベスト4に進出した。
1920年(大正9年)のアントワープ五輪で男子シングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得し、日本スポーツ界に初めてのオリンピック・メダルをもたらした。
英語文献では“Ichiya Kumagae”(イチヤ・クマガエ)と表記されることが多い。
熊谷一弥
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基本情報 | |||||||||||||
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国籍 | 日本 | ||||||||||||
出身地 | 福岡県大牟田市 | ||||||||||||
生年月日 | 1890年9月10日 | ||||||||||||
没年月日 | 1968年8月16日(77歳没) | ||||||||||||
死没地 | 神奈川県鎌倉市 | ||||||||||||
身長 | 166cm | ||||||||||||
利き手 | 左 | ||||||||||||
ツアー経歴 | |||||||||||||
デビュー年 | 1913年 | ||||||||||||
引退年 | 1921年 | ||||||||||||
4大大会最高成績・シングルス | |||||||||||||
全米 | ベスト4(1918) | ||||||||||||
国別対抗戦最高成績 | |||||||||||||
デビス杯 | 準優勝(1921) | ||||||||||||
キャリア自己最高ランキング | |||||||||||||
シングルス |
3位(全米ランキング) 7位(世界ランキング) |
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獲得メダル | |||||||||||||
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反応