マルチン・マトコフスキ
![マルチン・マトコフスキ マルチン・マトコフスキ](https://satch.tv/sat2022/wp-content/uploads/actor-230px/230px-matkowski_ma14_281729_281423956787729.jpg)
マルチン・マトコフスキ(Marcin Matkowski, 1981年1月15日 – )は、ポーランド・バルリネク出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとしてよく知られ、主に同じポーランドのマリウシュ・フィルステンベルクとのダブルスのみに活動を絞っていたが2014年末でコンビを解消している。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで16勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス647位、ダブルス7位。身長188cm、体重81kg、右利きの選手。サービスとフォアハンド・ストロークを最も得意にする。(彼の姓“Matkowski”は、これまでの報道では「マトコウスキー」の読みが多かった。)
マトコフスキは8歳からテニスを始めたが、その年にポーランドの共産主義が崩壊した。彼は1998年からポーランド国内開催のチャレンジャー大会に参加し始め、2000年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップポーランド代表選手に選ばれたが、2001年から2003年までアメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学していた。そのため、彼は22歳という遅い年齢でプロテニス選手に転向した。現在もダブルスのパートナーを組むマリウシュ・フィルステンベルクとの出会いは、2000年11月にアメリカ・フロリダ州で開かれたチャレンジャー大会であった。それ以後、マトコフスキは大半のトーナメントでフィルステンベルクとペアを組むようになる。2003年7月末、故国ポーランドのオレンジ・ワルシャワ・オープンのダブルスでフィルステンベルクと組んでツアー初優勝を果たす。2004年アテネ五輪のポーランド代表選手に選ばれたマトコフスキとフィルステンベルクは、男子ダブルス1回戦でスイス代表のイブ・アレグロ/ロジャー・フェデラー組に3-6, 2-6で敗退した。
マトコフスキとフィルステンベルクは、2006年全豪オープンで初めての4大大会ベスト4に進出した。準決勝でマルティン・ダム/リーンダー・パエス組に2-6, 4-6のストレートで敗れた。これで勢いづいた2人は、年間最終ランキング上位8組しか出場資格を得られない、男子ツアー年間最終戦テニス・マスターズ・カップダブルスにも初めて出場資格を得た。ポーランド人どうしのペアとしては史上初の快挙となった年間最終戦の舞台で、2人は予選ラウンド・ロビン(出場8組を2つのグループに分け、各グループの4組が総当たり戦を行う)で3戦全敗に終わった。
マルチン・マトコフスキ
|
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | ポーランド |
出身地 | 同・バルリネク |
生年月日 | 1981年1月15日(38歳) |
身長 | 188cm |
体重 | 81kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 2003年 |
ツアー通算 | 16勝 |
シングルス | 0勝 |
ダブルス | 16勝 |
生涯獲得賞金 | 4,031,191 アメリカ合衆国ドル |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | ベスト4(2006) |
全仏 | ベスト8(2010・13・15・16) |
全英 | ベスト8(2015) |
全米 | 準優勝(2011) |
4大大会最高成績・混合ダブルス | |
全豪 | ベスト4(2013) |
全仏 | 準優勝(2015) |
全英 | ベスト8(2007・13・15) |
全米 | 準優勝(2012) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 647位(2000年9月11日) |
ダブルス | 7位(2012年7月9日) |
反応