ロザンナ・デ・ロス・リオス
ロザンナ・デ・ロス・リオス(Rossana de los Ríos, 1975年9月16日 – )は、パラグアイ・アスンシオン出身の女子プロテニス選手。パラグアイが1991年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップに参加し始めた時の、最初のメンバーの1人でもある。4大大会では、2000年の全仏オープンで女子シングルス4回戦進出がある。自己最高ランキングはシングルス51位、ダブルス52位。
1989年に14歳でプロ入りし、女子ツアー下部組織の大会を回り始める。1991年にパラグアイのフェデレーションカップ初参加が実現し、同じ年であるロザンナ・デ・ロス・リオスとラリサ・シェーラー(Larissa Schaerer)の2人が最初のパラグアイ代表選手に選ばれた。1992年に全仏オープンのジュニア女子シングルス部門で優勝。1993年の全仏オープンで4大大会予選会に初出場し、8月にパラグアイ人女性として初の世界ランキングトップ100位以内に入る。その後1993年全米オープンと1994年全豪オープンで本戦に直接出場するが、ともに1回戦で敗退した。1994年4月を最後にツアー転戦から離れ、12月26日にプロサッカー選手のグスタボ・ネファと結婚する。1997年1月17日にひとり娘が誕生し、デ・ロス・リオスは5年間女子プロテニスツアーから遠ざかった。
娘が2歳半になり、デ・ロス・リオスは1999年6月から5年ぶりにツアーへ復帰した。1年後の2000年全仏オープンは、彼女にとっては1994年全豪オープン以来6年ぶりの4大大会出場で、復帰後初めての挑戦だった。デ・ロス・リオスは予選3試合を勝ち抜き、一気に本戦4回戦まで勝ち進んだ。3回戦でアマンダ・クッツァー(南アフリカ)を 7-5, 6-7, 6-4 で破った勝利の後、4回戦でマルタ・マレーロ(スペイン)に 6-4, 0-6, 4-6 の逆転で敗れた。これは現在においても、パラグアイ人女性による4大大会シングルスの最高成績である。この後、彼女は2003年ウィンブルドンまで「14大会」連続で4大大会シングルス本戦に出場し、2002年はすべて初戦を突破する好調さを見せた。ところが、2003年全米オープンで予選2回戦敗退に終わった後、彼女に再び長期間の低迷が訪れた。
デ・ロス・リオスは2007年、13年ぶりにフェドカップのパラグアイ代表選手に復帰した。2008年に入り、再び彼女のツアー成績は復調に向かう。全仏オープン1回戦ではマルタ・ドマホフスカ(ポーランド)に 6-3, 3-6, 1-6 で敗れ、ウィンブルドンでは1回戦で第1シードのアナ・イバノビッチ(セルビア)と顔を合わせた。全米オープンにおいて、ロザンナ・デ・ロス・リオスは6年ぶりの初戦突破を果たし、2回戦で第7シードのビーナス・ウィリアムズに 0-6, 3-6 で敗れる。2009年にはウィンブルドンで7年ぶり2度目の2回戦に進み、第1シードのディナラ・サフィナ(ロシア)に 3-6, 5-7 で敗れた。
ロザンナ・デ・ロス・リオス
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基本情報 | |
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国籍 | パラグアイ |
出身地 | 同・アスンシオン |
生年月日 | 1975年9月16日(43歳) |
身長 | 170cm |
体重 | 55kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1989年 |
引退年 | 2010年 |
ツアー通算 | 0勝 |
シングルス | 0勝 |
ダブルス | 0勝 |
生涯通算成績 | 566勝454敗 |
シングルス | 447勝314敗 |
ダブルス | 119勝140敗 |
生涯獲得賞金 | $1,077,550 |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | 2回戦(2001・02) |
全仏 | 4回戦(2000) |
全英 | 2回戦(2002・09) |
全米 | 2回戦(2002・08) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 1回戦(2002・03) |
全仏 | 2回戦(2003・08) |
全英 | 1回戦(2002・03) |
全米 | 2回戦(2002) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 51位(2001年11月12日) |
ダブルス | 52位(2003年5月12日) |
反応