ジョー・デュリー
![ジョー・デュリー ジョー・デュリー](https://satch.tv/sat2022/wp-content/uploads/actor-210px/220px-jo_durie_doubles_wimbledon_2004.jpg)
ジョー・デュリー(Jo Durie, 1960年7月27日 – )は、イングランド・ブリストル出身の女子プロテニス選手。若き日にはアイドル性のあるキャラクターとしても高い人気を持っていた。シングルス自己最高ランキングは5位。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス4勝を挙げた。身長183cm、体重68kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
1977年にプロ入り。同年のウィンブルドンで4大大会にデビューするが、当年度の優勝者となったバージニア・ウェードに初戦で敗退する。最初期はほとんどイギリス国内の試合のみに出場していたが、1981年から世界的な活躍を始め、全仏オープンを除く4大大会で4回戦に進出した。1983年にデュリーのテニス経歴は全盛期を迎え、女子ツアー大会でシングルス2勝とダブルス3勝を挙げ、全仏オープンと全米オープンでベスト4に入り、(当時は年末開催の)全豪オープンでベスト8入りした。全仏オープン準決勝ではミマ・ヤウソベッツ(ユーゴスラビア)に 6-3, 5-7, 2-6 の逆転で敗れ、全米オープン準決勝ではクリス・エバートに 4-6, 4-6 で完敗したが、こうしてデュリーは国際レベルの選手に躍進する。1984年にデュリーは地元のウィンブルドンで自己最高成績のベスト8に入ったが、この時の4回戦で当時15歳のシュテフィ・グラフ(当時西ドイツ)を 3-6, 6-3, 9-7 で退けた試合は今なお語り草になっている。
その後のデュリーは4大大会の女子シングルスで4回戦以上に勝ち残ることはできなかったが、混合ダブルスで1987年のウィンブルドンと1991年の全豪オープンに優勝を飾っている。パートナーはどちらも同じイギリスのジェレミー・ベイツと組んだ。デュリーは比較的長く現役生活を続行したが、1995年のウィンブルドン2回戦で第4シードのヤナ・ノボトナに敗れた試合の後、35歳で現役を退いた。
デュリーは女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップでも、1981年から1995年まで15年間イギリス代表選手を務めた。通算成績は34勝22敗(シングルス12勝16敗、ダブルス22勝6敗)で、フェデレーションカップではシングルスよりもダブルスで高い勝率を挙げた。通算勝利数はイギリス・チームの2位タイ記録で(1位バージニア・ウェード、2位タイがデュリーとクレア・ウッド)、ダブルス勝利数はウェードに続く単独2位記録となった。
基本情報 | |
---|---|
国籍 | イギリス |
出身地 | 同・ブリストル |
生年月日 | 1960年7月27日(59歳) |
身長 | 183cm |
体重 | 68kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1977年 |
引退年 | 1995年 |
ツアー通算 | 6勝 |
シングルス | 2勝 |
ダブルス | 4勝 |
生涯通算成績 | 595勝504敗 |
シングルス | 321勝305敗 |
ダブルス | 274勝199敗 |
生涯獲得賞金 | 1,224,016 アメリカ合衆国ドル |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | ベスト8(1983) |
全仏 | ベスト4(1983) |
全英 | ベスト8(1984) |
全米 | ベスト4(1983) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | ベスト4(1985) |
全仏 | ベスト4(1983) |
全英 | ベスト4(1983・84) |
全米 | ベスト8(1987・91) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 5位(1984年1月9日) |
ダブルス | 29位(1989年4月10日) |
反応