ジュスティーヌ・エナン

ジュスティーヌ・エナン

ジュスティーヌ・エナン(Justine Henin, 1982年6月1日 – )は、ベルギー・リエージュ出身の女子プロテニス選手。WTAツアーで4大大会7勝を含むシングルス43勝、ダブルス2勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス1位で、通算117週在位は歴代7位の記録である。身長167cm、体重57kg(2011年時点)。比較的小柄な身体から飛び上がって打つ独特な片手打ちバックハンド・ストロークと、類い稀なフットワークを最大の武器にした。2002-2006年の選手登録名は、「ジュスティーヌ・エナン=アーデン」(Justine Henin-Hardenne)。また、2001年全仏オープンまでは、日本の新聞一般表記は「ジャスティン・ヘニン」であった。

エナンは、2歳の時に初めてテニスのラケットを握り、6歳から専門的な指導を受け始めた。彼女はちょうど10歳になった時、母親と一緒に1992年全仏オープンの女子シングルス決勝を会場で観戦し、グラフとモニカ・セレシュの熱闘に深い感動を受けた。この試合を一緒に見た母親は、1995年2月に癌で死去してしまい、ジュスティーヌは父子家庭で育つことになる。14歳の時にコーチのカルロス・ロドリゲスと出会い、ずっと彼の指導を受けていた。

1997年、ジュニアテニス選手の登龍門と言われる「オレンジボウル選手権」に15歳で優勝。同年の全仏オープン女子ジュニアシングルスでカーラ・ブラック(ジンバブエ)を 4–6, 6–4, 6–4で破り優勝。
1999年、プロ入り。5月に故国のアントワープで開催された「ベルギー・オープン」で、ツアー初優勝を遂げた。この後、全仏オープンで4大大会にデビューし、予選3試合を勝ち抜いた後、2回戦で第2シードのリンゼイ・ダベンポート(アメリカ)に初挑戦した。

エナンが最初に注目を集めたのは、2000年全米オープンの4回戦進出であった。この時、彼女は3回戦で人気選手のアンナ・クルニコワ(ロシア)を 6-4, 7-6 で倒した後、次の4回戦でリンゼイ・ダベンポートに 0-6, 4-6 で敗れた。2001年1月、年頭のオーストラリア・ゴールドコースト大会の決勝でシルビア・ファリナ・エリア(イタリア)を破り、ツアー2勝目を獲得する。

ジュスティーヌ・エナン
基本情報
愛称 ジュジュ(JuJu)
国籍 ベルギー
出身地 同・リエージュ
生年月日 (1982-06-01) 1982年6月1日(37歳)
身長 167cm
体重 57kg
利き手
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 2016年
ツアー経歴
デビュー年 1999年
引退年 2008年
(2010年-2011年復帰)
ツアー通算 45勝
シングルス 43勝
ダブルス 2勝
生涯通算成績 572勝150敗
シングルス 525勝115敗
ダブルス 47勝35敗
生涯獲得賞金 $20,863,335
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(2004)
全仏 優勝(2003・05-07)
全英 準優勝(2001・06)
全米 優勝(2003・2007)
優勝回数 7(豪1・仏4・米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(2003)
全仏 ベスト4(2001)
全英 3回戦(2001)
全米 2回戦(2001・02)
国別対抗戦最高成績
フェド杯 優勝(2001年)
ホップマン杯 準優勝(2011年)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(2003年10月20日)
ダブルス 23位(2002年1月14日)
獲得メダル
テニス
オリンピック
2004 アテネ 女子シングルス

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