ヤネッテ・フサロバ
ヤネッテ・フサロバ(Janette Husárová, 1974年6月4日 – )は、スロバキア・ブラチスラヴァ出身の女子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして知られる。WTAツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで25勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス31位、ダブルス3位。身長169cm、体重56kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
1991年にプロ入り。1994年に初めて世界ランキング100位以内に入り、1996年に女子ツアーのダブルス大会で2勝を挙げる。1997年1月、ニュージーランド・オークランド大会のダブルスでベルギーのドミニク・ファン・ルーストと組んで優勝し、女子ツアーでダブルス3勝目を挙げたが、直後の全豪オープン1回戦でシュテフィ・グラフと対戦中に右膝の靱帯断裂を起こし、グラフの第1セット 5-1 リードで途中棄権したことがある。フサロバはこの故障で右膝の手術を受け、7ヶ月間の戦線離脱を経験した。2000年シドニー五輪で、フサロバはオリンピックのスロバキア代表選手として初出場を果たし、カリナ・ハブスドバと組んだ女子ダブルスで2回戦に進出した。初めてのオリンピックで、フサロワとハブスドバは女子ダブルス2回戦でベルギー代表のドミニク・ファン・ルースト&エルス・カレンズ組に敗れた。2001年は全仏オープンで初めてのシングルス3回戦に進出し、ダブルスで年間4勝を挙げている。
ヤネッテ・フサロバは2002年、シングルス・ダブルスともに最も充実したシーズンを送った。年頭の全豪オープンで、フサロワは3回戦で日本の杉山愛を破り、第4シードのキム・クライシュテルスとの4回戦まで進出した。この年はダブルスで年間6勝を挙げたが、そのうち4つがエレーナ・デメンチェワとペアを組んで獲得したものである。フサロバとデメンチェワは、全米オープンで初めての4大大会女子ダブルス決勝に進み、ビルヒニア・ルアノ・パスクアル(スペイン)&パオラ・スアレス(アルゼンチン)組に 2-6, 1-6 で敗れて準優勝になった。同年11月、フサロバは女子テニス国別対抗戦・フェドカップでスロバキア・チームの初優勝に貢献した。フェド杯初優勝の翌週には、デメンチェワとのペアで女子ツアー年間最終戦・WTAツアー選手権のダブルスにも初優勝を飾った。
2003年は故障に悩み、6年前に痛めた右膝の古傷に加えて、背筋痛で試合を棄権したこともあった。2004年はアテネ五輪で2度目のオリンピックに出場したが、ダニエラ・ハンチュコバとの女子ダブルスで1回戦敗退に終わっている。その後、2005年2月に日本の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」でエレーナ・リホフツェワと組んだ優勝がある。2006年は、7月後半にオランダのミハエラ・クライチェクと組んでダブルス2週連続優勝を記録した。
ヤネッテ・フサロバ
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基本情報 | |
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国籍 | スロバキア |
出身地 | 同・ブラチスラヴァ |
生年月日 | 1974年6月4日(45歳) |
身長 | 169cm |
体重 | 56kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1991年 |
引退年 | 2016年 |
ツアー通算 | 25勝 |
シングルス | 0勝 |
ダブルス | 25勝 |
生涯通算成績 | 793勝570敗 |
シングルス | 291勝246敗 |
ダブルス | 502勝324敗 |
生涯獲得賞金 | $2,402,865 |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | 4回戦(2002) |
全仏 | 3回戦(2001・02) |
全英 | 1回戦(1994・96・2001-03) |
全米 | 2回戦(2001・02) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | ベスト8(2004・08) |
全仏 | ベスト8(2003・04・07) |
全英 | ベスト8(2003) |
全米 | 準優勝(2002) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 31位(2003年1月13日) |
ダブルス | 3位(2003年4月21日) |
反応