ビリー・ジーン・キング
ビリー・ジーン・キング(Billie Jean King, 1943年11月22日 – )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチ出身の女子テニス選手。1960年代から1980年代初頭までの四半世紀にわたって女子テニス界に君臨した名選手であり、女子テニスの歴史を通じて最高の偉人の一人である。現役時代、日本では「キング夫人」と呼ばれた[注 1]。後にレズビアンであることをカミングアウトしている。
キング夫人は女子テニス協会(Women’s Tennis Association, 略称 WTA)を設立し、女子テニス界のシステムを変革した選手として、女子スポーツに革命的な影響を及ぼした存在であった。生まれた時の名前は「ビリー・ジーン・モフィット」(Billie Jean Moffitt)といったが、弁護士・不動産業者のラリー・キング(Larry King)と結婚して「ビリー・ジーン・キング夫人」と名乗るようになり、この名前で最もよく知られる。弟のランディ・モフィットは、アメリカ大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツの投手になった。
ビリー・ジーン・モフィットは1960年から女子テニス界で活動を始め、1961年のウィンブルドン女子ダブルスカレン・ハンツェとペアを組んで初優勝を飾り、偉大な名選手として最初の第一歩を踏み出した。当時モフィットは17歳、ハンツェは18歳で、このペアはウィンブルドン女子ダブルスで史上最年少の優勝ペアであった。同大会女子ダブルスでは1962年と1965年にも優勝した。シングルス決勝には1963年に初進出したが、この年はマーガレット・スミスに敗れて準優勝に終わっている。独身選手時代はマザー・グースの童謡にある“Little Miss Muffet”(リトル・ミス・マフェット、マフェットちゃん)の歌と語呂合わせで“Little Miss Moffitt”(リトル・ミス・モフィット)と呼ばれていた。
1966年の全米選手権で(一番右がキング)
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | 同・カリフォルニア州ロングビーチ |
生年月日 | 1943年11月22日(75歳) |
身長 | 164cm |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
殿堂入り | 1987年 |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1960年 |
引退年 | 1983年 |
生涯獲得賞金 | 1,966,487 アメリカ合衆国ドル |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | 優勝(1968) |
全仏 | 優勝(1972) |
全英 | 優勝(1966-68・72・73・75) |
全米 | 優勝(1967・71・72・74) |
優勝回数 | 12(豪1・仏1・英6・米4) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 準優勝(1965・69) |
全仏 | 優勝(1972) |
全英 |
優勝(1961・62・65・67 ・68・70-73・79) |
全米 | 優勝(1964・67・74・77・80) |
優勝回数 | 16(仏1・英10・米5) |
4大大会最高成績・混合ダブルス | |
全豪 | 優勝(1968) |
全仏 | 優勝(1967・70) |
全英 | 優勝(1967・71・73・74) |
全米 | 優勝(1967・71・73・76) |
優勝回数 | 11(豪1・仏2・英4・米4) |
国別対抗戦最高成績 | |
フェド杯 | 優勝(1963・66・67・76-79) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 1位 |
ダブルス | 1位 |
反応