コリーナ・モラリュー
コリーナ・モラリュー(Corina Morariu, 1978年1月26日 – )は、アメリカ・ミシガン州デトロイト出身の女子プロテニス選手。ダブルスの得意な選手で、1999年のウィンブルドン女子ダブルスと2001年の全豪オープン混合ダブルスで優勝した。自己最高ランキングはシングルス29位、ダブルス1位。WTAツアーでシングルス1勝、ダブルス13勝を挙げた。
モラリューの両親はルーマニア出身で、彼女の父親は神経科医の仕事に従事している。1994年にプロ入り。1996年4月にジャパン・オープンで初来日し、予選3試合を勝ち上がった後、本戦の2回戦で当時の日本の2番手だった沢松奈生子を 5-7, 6-3, 7-6 の逆転で破り、雉子牟田直子との準々決勝まで進出した。同大会では2年後の1998年に準優勝があるが、この時は決勝で日本のエース杉山愛に 3-6, 3-6 で敗れている。1999年にモラリューはダブルスで年間6勝を挙げ、ウィンブルドン女子ダブルスでリンゼイ・ダベンポートとペアを組んで4大大会初優勝を飾った。(ダベンポートはシングルス決勝でもシュテフィ・グラフを破って優勝したため、1999年のウィンブルドンは“単複2冠制覇”となった。)モラリューのダブルス6勝は、ウィンブルドンを含む3勝がダベンポートとのペアで、他の3勝の中には日本のジャパン・オープンの女子ダブルス部門もある。ジャパン・オープンの女子ダブルスは1999年と2000年の2年連続制覇を成し遂げた。
2001年の全豪オープンで、モラリューは女子ダブルス・混合ダブルスの2部門で決勝に進出し、エリス・フェレイラ(南アフリカ)と組んだ混合ダブルスで優勝した。ダベンポートと組んだ女子ダブルス決勝では、ビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹組に 2-6, 6-4, 4-6 で敗れて準優勝に終わった。
ところが、同年の5月にモラリューはドイツ・ベルリンの大会中に右足を捻挫して倒れてしまう。モラリューは急性骨髄性白血病の診断を下され、化学療法による治療を受けた。生死の境を乗り越えて、2002年8月から現役復帰を果たし、同年の全米オープン1回戦で再び4大大会にも姿を見せたが、第1シードのセリーナ・ウィリアムズに 2-6, 3-6 で完敗した。モラリューは2002年のWTAアワードのカムバック賞を受賞した。
コリーナ・モラリュー
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | 同・ミシガン州デトロイト |
生年月日 | 1978年1月26日(41歳) |
身長 | 174cm |
体重 | 59kg |
利き手 | 右 |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1994年 |
引退年 | 2007年 |
ツアー通算 | 14勝 |
シングルス | 1勝 |
ダブルス | 13勝 |
生涯通算成績 | 408勝292敗 |
シングルス | 160勝134敗 |
ダブルス | 248勝158敗 |
生涯獲得賞金 | 1,733,916 アメリカ合衆国ドル |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | 2回戦(1998) |
全仏 | 2回戦(1998・2000・03) |
全英 | 3回戦(1998・99) |
全米 | 2回戦(1997) |
優勝回数 | $1,733,916 |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 準優勝(2001・05) |
全仏 | ベスト4(2005) |
全英 | 優勝(1999) |
全米 | ベスト8(1999・2002・05・07) |
優勝回数 | 1(英1) |
4大大会最高成績・混合ダブルス | |
全豪 | 優勝(2001) |
全仏 | ベスト8(2003・05) |
全英 | 3回戦(2006) |
全米 | ベスト4(2002) |
優勝回数 | 1(豪1) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 29位(1998年8月24日) |
ダブルス | 1位(2000年4月3日) |
反応