ラリサ・ネーランド
![ラリサ・ネーランド ラリサ・ネーランド](https://satch.tv/sat2022/wp-content/uploads/actor-wiki/e382a6e382a7e383b3e38387e382a3e383bbe382bfe383bce383b3e38396e383ab.jpg)
ラリサ・サブチェンコ・ネーランド(Larisa Savchenko-Neiland, 1966年7月21日 – )は、ラトビアの元女子プロテニス選手。ウクライナ・リヴィウ生まれ。ソビエト連邦の時代から活動し、ソ連崩壊後はラトビア・ユールマラに住んだ。彼女はダブルスの名手として長く活躍し、WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス65勝を挙げ、4大大会でも女子ダブルス2勝・混合ダブルス4勝を達成した。旧姓「ラリサ・サブチェンコ」(Larisa Savchenko)というが、1989年にアレックス・ネーランド(Alex Neiland)と結婚した。
ネーランドのテニス経歴は、ソ連時代の1983年から始まる。1988年、彼女はウィンブルドンで同じソ連のナタリア・ズベレワとペアを組んで初の女子ダブルス決勝に勝ち進み、シュテフィ・グラフ&ガブリエラ・サバティーニ組と熱戦を繰り広げた。ソ連ペアは 3-6, 6-1, 10-12 で敗れ、グラフが単複2冠を獲得した。続く全米オープンで、サブチェンコは初めてシングルス準々決勝に進出したが、第5シードのサバティーニに 6-4, 4-6, 1-6 の逆転で敗れた。彼女のシングルス自己最高ランキング「13位」は、ソ連時代の1988年5月-6月にかけて記録したものである。
1989年、ネーランドはズベレワとのコンビで全仏オープンとウィンブルドンの女子ダブルス決勝に進出した。全仏女子ダブルス決勝で、ネーランドとズベレワはグラフ&サバティーニ組に 6-4, 6-4 で快勝し、初めての4大大会タイトルをここで獲得する。ウィンブルドン女子ダブルス決勝では、2人はチェコスロバキアペアのヘレナ・スコバ&ヤナ・ノボトナ組に 1-6, 2-6 で完敗し、2年連続準優勝で止まった。同年暮れの1989年12月21日、ラリサ・サブチェンコはアレックス・ネーランドと結婚した。
1991年、ネーランドとズベレワはついにウィンブルドン女子ダブルスで初優勝を果たす。2人はジジ・フェルナンデス&ヤナ・ノボトナ組を 6-4, 3-6, 6-4 で破り、3度目の挑戦でウィンブルドン初優勝を決めた。これはソ連国籍のテニス選手が獲得した最初のウィンブルドン・タイトルである。この年の暮れにソ連崩壊が起こり、ネーランドはラトビア国籍になり、ズベレワはベラルーシ国籍になる。それまでソ連のチームメートだった2人は、これを契機にダブルスペアの解消を余儀なくされた。1992年以後、ネーランドはヤナ・ノボトナと、ズベレワはジジ・フェルナンデスとペアを組むことが多くなる。ネーランドは1992年ウィンブルドンで混合ダブルス初優勝を果たし、チェコのシリル・スーク(ヘレナ・スコバの弟)とペアを組んだ。スークとネーランドは、オランダペアのヤッコ・エルティン&ミリアム・オレマンス組を 7-6, 6-2 のストレートで破って優勝した。ネーランドはその後、混合ダブルスで3つのタイトルを加えたが、1994年全豪オープンはアンドレイ・オルホフスキー(ロシア)、1995年全仏オープンと1996年全豪オープンはマーク・ウッドフォード(オーストラリア)と組んだ。
シングルスでのネーランドは、1994年のウィンブルドンでベスト8の自己最高成績を出した。この大会では、ネーランドは3回戦で第6シードの伊達公子を 6-3, 6-2 で破り、4回戦でアマンダ・クッツァーを破った後、ロリ・マクニール(アメリカ)に 3-6, 4-6 で敗れた。ネーランドの4大大会シングルスは、1988年全米オープンと1994年ウィンブルドンで2度のベスト8が最高成績になる。
基本情報 | |
---|---|
国籍 |
ソビエト連邦(1983-1991) → ラトビア(1992-) |
出身地 | ウクライナ・リヴィウ |
居住地 | ラトビア・ユールマラ |
生年月日 | 1966年7月21日(53歳) |
身長 | 169cm |
体重 | 60kg |
利き手 | 右 |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1983年 |
引退年 | 2000年 |
ツアー通算 | 67勝 |
シングルス | 2勝 |
ダブルス | 65勝 |
生涯通算成績 | 1088勝541敗 |
シングルス | 322勝283敗 |
ダブルス | 766勝258敗 |
生涯獲得賞金 | 4,083,936 アメリカ合衆国ドル |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | 4回戦(1992) |
全仏 | 3回戦(1984・89) |
全英 | ベスト8(1994) |
全米 | ベスト8(1988) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | ベスト4(1995-97) |
全仏 | 優勝(1989) |
全英 | 優勝(1991) |
全米 | 準優勝(1991・92) |
優勝回数 | 2(仏1・英1) |
4大大会最高成績・混合ダブルス | |
全豪 | 優勝(1994・96) |
全仏 | 優勝(1995) |
全英 | 優勝(1992) |
優勝回数 | 4(豪2・仏1・英1) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 13位 |
ダブルス | 1位 |
反応