ディディエ・ピローニ
![ディディエ・ピローニ ディディエ・ピローニ](https://satch.tv/sat2022/wp-content/uploads/actor-210px/220px-didier_pironi_1982.jpg)
ディディエ・ジョゼフ=ルイ・ピローニ(Didier Joseph-Louis Pironi 、1952年3月26日 – 1987年8月23日)は、フランスのレーシングドライバー。1978年から1982年までF1ドライバーとして活動した。
ヴァル=ド=マルヌ県のヴィルクレーヌに生まれる。イタリア系フランス人。裕福な家庭に育ち、学生時代は成績優秀かつスポーツ万能であった。実家の建設業を継ぐことを期待されたが、異母兄のレーサーのジョゼ・ドレムの影響を受けてモータースポーツの世界に進む。フランスの石油企業エルフのバックアップを受けてフォーミュラ・ルノーに参戦し、フランス選手権、ヨーロッパ選手権を制覇する。
1977年にはヨーロッパF2選手権に参戦(シリーズ3位)。また、スポット参戦したモナコグランプリの前座F3で優勝する。この活躍とエルフの推挙により、1978年にティレルからF1デビューすることが決まった[注釈 1]。
F1以外では1978年のル・マン24時間レースにおいて、ジャン=ピエール・ジョッソーとのコンビでルノー・アルピーヌ A442B(英語版)を駆り、ルノー悲願のル・マン初優勝を達成している。また、1977年から1978年にかけては、日本でJAF鈴鹿グランプリや富士GCにスポット参戦。なかでも1977年11月6日のJAF鈴鹿グランプリには3年落ちのマーチ・742シャシーでの参戦のため予選では9番手であったが、雨となった決勝レースではスタートから5周の間に中嶋悟、桑島正美、星野一義をごぼう抜き。使い古しであったBMWエンジンの冷却ホースが痛んだためリタイアする28周目までトップを独走し続ける速さを見せ、リカルド・パトレーゼやケケ・ロズベルグも参戦する中で主役級の話題をさらった。
ディディエ・ピローニ | |
---|---|
ピローニ (1982年オランダGP)
|
|
基本情報 | |
フルネーム | ディディエ・ジョゼフ=ルイ・ピローニ |
国籍 | フランス |
出身地 |
同・ヴァル=ド=マルヌ県 ヴィルクレーヌ |
生年月日 | 1952年3月26日 |
没年月日 | 1987年8月23日(35歳没) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1978-1982 |
所属チーム |
’78-’79 ティレル ’80 リジェ ’81-’82 フェラーリ |
出走回数 | 70 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 3 |
表彰台(3位以内)回数 | 13 |
通算獲得ポイント | 101 |
ポールポジション | 4 |
ファステストラップ | 5 |
初戦 | 1978年アルゼンチンGP |
初勝利 | 1980年ベルギーGP |
最終勝利 | 1982年オランダGP |
最終戦 | 1982年ドイツGP |
反応