篠塚建次郎
篠塚 建次郎(しのづか けんじろう、1948年11月20日 – )は日本のラリードライバー。東京都大田区出身。東海大学工学部工業化学科卒業。三菱自動車の社員ドライバーとして活躍し、世界ラリー選手権 (WRC) とパリ・ダカール・ラリーで日本人初の優勝者となった。愛称は「シノケン」。
小学生の頃は乗馬、中学生は自転車、高校生はオートバイと「乗り物」に親しみながら育つ。1967年、大学入学後に運転免許を取得し、友人の誘いでナビゲーターとしてラリーに参加し魅力を知る。その後はドライバーとして頭角を現し、大学3年の時には三菱自動車工業のワークスチーム「コルト・モータースポーツクラブ(CMSC)」にスカウトされた。
大学卒業後、1971年に三菱自動車に入社。販売店のセールスマンや整備工場のメカニックを経験しながら、週末はワークスドライバーとして日本各地のラリー競技会に出場し、1971年、1972年にはコルトギャラン1600Lに乗り全日本ラリー選手権で2年連続シリーズチャンピオンを獲得した。1974年から海外のサザンクロス・ラリーに挑戦し、1976年のWRCサファリラリーでは日本人初の6位となり、「ライトニング・ケンジロー」の異名をとる。しかし、オイルショックや排気ガス対策のため三菱が1978年にワークス活動を休止したため、篠塚はラリーから離れ、販売推進部で宣伝を担当するサラリーマンとして働いていた。
篠塚建次郎 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1948年11月20日(70歳) |
出身地 | 日本 東京都 |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1976年 – 1997年 |
所属チーム | 三菱 |
出走回数 | 20 |
チャンピオン回数 | 0 |
優勝回数 | 2 |
表彰台回数 | 3 |
ステージ勝利数 | 3 |
通算獲得ポイント | 88 |
初戦 | 1976 サファリラリー |
初勝利 | 1991 ラリー・コートジボワール |
最終勝利 | 1992 ラリー・コートジボワール |
最終戦 | 1997 ラリー・オーストラリア |
反応