磯谷廉介
磯谷 廉介(いそがい れんすけ、1886年(明治19年)9月3日 – 1967年(昭和42年)6月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争期に日本占領下の香港で総督を務めた。
兵庫県出身。旧篠山藩士・磯谷次郎の三男として生れる。私立尋常中学鳳鳴義塾、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1904年(明治37年)10月、陸軍士官学校(第16期)を卒業。同期に板垣征四郎・土肥原賢二がいる。翌月、歩兵少尉に任官し歩兵第20連隊付となった。1915年(大正4年)12月、陸軍大学校(27期)を卒業し歩兵第20連隊中隊長に就任。
1916年(大正5年)8月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、参謀本部付(広東駐在)、歩兵第13連隊付(広東駐在)、歩兵第13連隊大隊長を歴任し、1922年(大正11年)12月に帰国。1924年(大正13年)2月、第1師団参謀に就任し、翌年8月、参謀本部付として広東に赴任し1928年(昭和3年)2月まで駐在。1928年5月、臨時第6師団司令部付となり、第3師団司令部付(青島機関長)を経て、同年8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第7連隊長となった。
1930年(昭和5年)3月、第1師団参謀長に就任し、教育総監部第2課長、陸軍省人事局補任課長、兼陸軍兵器本廠付(欧米出張)を歴任し、1933年(昭和8年)3月、陸軍少将に進級した。同年8月、参謀本部第2部長に発令。
磯谷廉介
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生誕 |
1886年9月3日 日本 兵庫県 |
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死没 | 1967年6月6日(80歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1904 – 1939 1942 – 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
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