江草隆繁

江草 隆繁(えぐさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4日 – 1944年(昭和19年)6月15日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。五二一空陸上爆撃機搭乗員として参加したあ号作戦で戦死した。最終階級は海軍大佐。

1909年(明治42年)9月4日、広島県芦品郡有磨村下有地(現・福山市芦田町)に農家の九右衛門とキタの三男として生まれた。江草家は旧家で代々地主である。江草姓は、同地方の戦国時代の豪族などに見られ、広島と岡山の県境に多く見られる

1925年(大正14年)、海軍兵学校と陸軍士官学校の両方を合格。江草は海兵に行く気だったが、入校直前の身体検査で結核と誤診されて海兵57期には入校できなかった。1926年(大正15年)3月、旧制府中中学校(現・広島県立府中高等学校)を第1期生として卒業。同級に浦上豊、岡崎平夫ら。1927年(昭和2年)4月8日、海軍兵学校58期として入校。同期には村田重治、中島正、奥宮正武ら。1930年(昭和5年)11月18日、海兵58期を卒業。58期生は少尉候補生として装甲巡洋艦出雲・八雲に乗組し練習航海に出発。1931年(昭和6年)重巡洋艦羽黒乗組。1932年(昭和7年)4月1日海軍少尉

1933年(昭和8年)11月、第24期飛行科学生を卒業。海軍中尉に昇進する。艦上攻撃機搭乗員となり水平爆撃、雷撃の延長訓練を受けるため館山海軍航空隊に配属。1934年(昭和9年)4月、空母鳳翔乗組。1935年(昭和10年)10月、佐伯海軍航空隊(佐伯空)着任。源田実大尉の研究により正式採用された急降下爆撃の訓練を受け、江草は艦上攻撃機から艦上爆撃機に転科した。「九四式特殊爆撃機」で急降下爆撃の訓練が行われたが、荷重と気圧の激変による航空障害を伴う過酷なものだった。

渾名 艦上爆撃機の神様
生誕 1909年9月4日
日本 広島県芦品郡有磨村
死没 (1944-06-15) 1944年6月15日(34歳没)
日本 南洋諸島サイパン島沖
所属組織 大日本帝国海軍
軍歴 1930 – 1944
最終階級 海軍大佐
墓所 高知県高知市筆山霊苑
テンプレートを表示

反応