加来止男

加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 – 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。空母「飛龍」艦長をつとめ、ミッドウェー海戦で戦死した。

1893年11月8日に、熊本県八代郡松高村に生まれた。加来が生まれた8ヶ月後には日清戦争が勃発し、小学校高学年の頃には日露戦争も起きている。二つの対外戦争を挟んだこの時期、日本海軍の軍備も急速に強化された。また、加来の故郷・松高村は八代海に面した場所にあり、海との関わりも深く、彼が海軍兵学校への入学を志したのも、当時の世相や生まれ育った環境を考えれば自然な成り行きと言えるのである。熊本県立八代中学校を卒業後、1911年9月に海軍兵学校42期に入学する。18歳での入学はやや遅く受験では苦労したようで入学席次も入校時120名中98番である。しかし、卒業時には席次も117名中43番まで上がった。しかし、海軍での出世は、兵学校卒業時の席次が重視されるのである。外交官・加来美智雄は兄。八代中学2年に在学中、有明海に練習艦隊が入港したのを見て感激したのが契機で海軍士官を志願したという。

加来 止男
生誕 1893年11月8日
日本 熊本県八代郡松高村
死没 (1942-06-06) 1942年6月6日(48歳没)
アメリカ合衆国 ミッドウェー島近海
所属組織 大日本帝国海軍
軍歴 1915 – 1942
最終階級 海軍少将
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