日下敏夫
日下 敏夫(くさか としお、1904年(明治37年)6月28日 – 1999年(平成11年)8月)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争においてほとんどの期間を潜水艦艦長として終始し、主として交通破壊戦に戦果を挙げた。最終階級は海軍中佐。
日下は徳島県出身の海兵53期生である。海兵53期はワシントン海軍軍縮条約の影響で生徒数が激減したクラスで同期生は62名である。その一人が海軍青年士官運動の中心人物となる藤井斉であり、海兵53期生は10名が特別高等警察作成のブラックリストに掲載されているが、日下の名はない。1925年(大正14年)に下位の席次で海軍兵学校を卒業した。海兵53期の練習艦隊は、豪州方面に向かい、艦長の枝原百合一、高須四郎、戸塚道太郎、渡名喜守定らの幹部の指導を受けた。
海軍中佐時代
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生誕 |
1904年6月28日 徳島県板野郡松茂村 |
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死没 |
1999年8月(95歳没) 広島県呉市 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1926 – 1945 |
最終階級 | 海軍中佐 |
反応