朴正煕

朴 正煕(パク・チョンヒ、朝鮮語: 박정희、日本語読み: ぼく せいき、1917年11月14日〈時憲暦9月30日[註釈 1]〉 – 1979年10月26日)は、韓国の政治家、軍人。

職業軍人だったが、1961年の軍事クーデターで国家再建最高会議議長に就任し、1963年から1979年まで大統領(第5代から第9代)を務めた。彼の時代から約30年間にわたって『漢江の奇跡』と呼ばれる高度経済成長が実現されて韓国は世界最貧国の層から脱したと評価される

一方で1972年の改憲で大統領任期と重任制限を撤廃することで永久執権を図ろうとし、また民主化運動をスパイ操作・司法殺人などで弾圧したとして「独裁者」との批判的評価も受けている。 1979年に側近の金載圭によって暗殺された。

本貫は高霊朴氏。号は「中樹(チュンス、중수)」。創氏改名による日本名は高木 正雄(たかぎ まさお)。1番目の妻に金好南。2番目の妻に文世光事件で暗殺の犠牲となった陸英修。好南との間に長女の朴在玉。英修との間に、次女で第18代大統領の朴槿恵と、長男でEGテック現会長の朴志晩がある。

朴正煕(漢字表記)
박정희

1975年

大韓民国
第5-9代大統領
任期 1963年12月17日 – 1979年10月26日
首相 崔斗善(朝鮮語版)(1963-1964)
丁一権(1964-1970)
白斗鎮(1970-1971)
金鍾泌(1971-1975)
崔圭夏(1976-1979)

国家再建最高会議
議長
任期 1961年7月3日 – 1963年12月17日
内閣首班 宋尭讃(1961-1962)
金顕哲(1962-1963)

国家再建最高会議
第3代内閣首班
任期 1962年6月18日 – 1962年7月9日

出生 1917年11月4日<時憲暦:9月30日>
日本統治下朝鮮 慶尚北道善山郡亀尾
(現:亀尾市)
死去 (1979-10-26) 1979年10月26日(61歳没)
韓国 ソウル特別市鍾路区宮井洞
政党 民主共和党 (1963-1980)
維新政友会 (1973-1980)
出身校 大邱師範学校修了
満州国陸軍軍官学校(第2期)
日本陸軍士官学校(第57期)
朝鮮警備隊学校
配偶者 イ・ヒョンラン(1950年2月まで同棲)
金好南(キム・ホナム、1950年11月に離婚)
陸英修 (1961–1974)
子女 朴在玉
朴槿恵
朴槿令
朴志晩
署名

反応