鄭孝胥
鄭 孝胥(てい こうしょ)は、清末の官僚・満州国の政治家・書家。字は太夷、号は蘇戡・蘇盦等。満州国の初代国務院総理(首相)。祖籍は福建省福州府(現在の閩侯県)だが、江蘇省蘇州府に生まれる。翰林鄭守廉の息子で、光緒八年(1882年)本省の科挙において解元に中第(郷試第一名)。
鄭孝胥のそれまでの人生を大きく変える契機は、晩年である1924年に溥儀について総理内務府大臣に就任した時と言える。既に溥儀自身は1912年に退位宣言をしており、清朝は滅亡していたが、清室優待条件によって大清皇帝の尊号と紫禁城に居住することが認められており、宮廷機構も維持していた。鄭孝胥は溥儀の師傅である陳宝琛の推挙によって溥儀に仕えるようになり、宮廷財産の整理にあたった。当時の宮廷は清代以来の皇室の家政機関である内務府によって運営されていたが、内務府の運営は浪費が著しく、年々支払いが滞るようになった民国政府からの清室優待経費のなかでのやり繰りは困難を極めた。溥儀は成人すると内務府の整理に取り組み、それを任せられたのが鄭孝胥だった。鄭孝胥は総管内務府大臣の役職を与えられ、内務府の人員や資産整理にあたったが、旧来の内務府の官員とは度々衝突した。
彼は溥儀の忠臣として尽くし、溥儀の紫禁城退去の際にも付き従った。日本軍の庇護下に入りつつも、その復権のために奔走する。一説にはこの時期、鄭孝胥の仕官を勧める口はいくらもあったが、頑なに拒んだという。
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生年月日 |
1860年5月2日 (咸豊10年閏3月12日) |
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出生地 | 清江蘇省蘇州府 |
没年月日 | 1938年3月28日(77歳没) |
死没地 | 満州国新京 |
国務院総理
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在任期間 | 1932年3月9日 – 1934年2月28日 |
執政 | 愛新覚羅溥儀 |
国務総理大臣
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在任期間 | 1934年3月1日 – 1935年5月21日 |
皇帝 | 康徳帝 |
反応