陳公博
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陳 公博(ちん こうはく、1892年10月19日 – 1946年6月3日)は、中華民国の政治家。日中戦争中に汪兆銘と共に日本との協調路線を政策方針とする南京政府を設立、戦後は日本に協力した漢奸として死刑となった。
広東省に生まれる。清朝の高官だった父親は広西提督を務めた。陳公博は北京大学に学び五四運動に参加、マルクス主義や社会主義に触れる。1920年に大学を卒業すると陳独秀らの指導の下中国共産党のオルグとして活動、翌1921年の中共一大会議に参加するが、後に共産党から脱党する。
共産党脱党後に渡米し、1925年コロンビア大学で修士号を取得。帰国後に中国国民党に入党し、廖仲愷や汪兆銘と共に国民党左派として活動する。北伐が始まると蒋介石や汪と共に北上するが、一時蒋に反旗を翻し武漢国民政府に参加。武漢国民政府解散後は張発奎・李済深と共に抵抗を続けるが1927年には香港へ亡命する。翌1928年に上海へ赴くが、国民政府に対して反主流的な言動を取り続ける。
1943年
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プロフィール | |
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出生: |
1892年10月19日 (清光緒18年8月29日) |
死去: |
1946年(民国35年)6月3日 中華民国(国民政府)江蘇省蘇州市 |
出身地: | 清広東省広州府南海県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 陳公博 |
簡体字: | 陈公博 |
拼音: |
Chén Gōngbó |
注音二式: | Chén Gūngbó |
和名表記: | ちん こうはく |
発音転記: | チェン ゴンボー |
ラテン字: | Ch’en Kung-po |
反応