サッチウィーブ
サッチウィーブ(Thach Weave)は第二次世界大戦期に、アメリカ海軍のジョン・S・サッチ海軍少佐が編み出した空中戦闘機動。サッチは防御戦術として「ビーム・ディフェンス・ポジション」と命名したが、動きが「ウィーブ」(機織り)の糸を織る動きに似ていることから「サッチ・ウィーブ(サッチの機織り)」という通称で呼ばれる。
アメリカ海軍は、基本を二機とするエレメント(分隊)、二個エレメントで一個フライト(小隊)のエシュロン隊形が戦闘機の編隊であった。サッチウィーブは、この隊形の相互支援の戦術であり、機織りのように互いにクロスするようにS字の旋回を繰り返すことで、敵機に後方を取られても編隊僚機がその敵機の後ろに付くことができる。それまでの戦術では長機を僚機が援護する形を採っていたが、サッチウィーブでは状況次第でどちらが支援に回っても構わず、より効率的な攻撃ができた。
戦闘機同士の空中戦は、第一次世界大戦では一対一のドッグファイトが中心であったが、第二次世界大戦が始まる頃には、アメリカ海軍ではエシュロン隊形が中心となっていった。アメリカ海軍のジョン・S・サッチ海軍少佐がサッチウィーブを発案すると、米海軍で相互支援の戦術として取り入れられていった。
1942年6月、ミッドウェー海戦で初めて実戦で用いられ、その効果は十分に証明された。サッチはエシュロン隊形のリーダーとして出撃したミッドウェー海戦で、初めてサッチウィーブをテストして零戦を1機撃墜、またその時のウィングマンであり、米海軍最初のエースパイロットとなったエドワード・”’ブッチ”’・オヘアは、2機の零戦を撃墜した。
反応