アルフレッド・E・モントゴメリー

アルフレッド・ユージン・モントゴメリー(Alfred Eugene Montgomery, 1891年6月12日 – 1961年12月15日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は中将。「ピート」マーク・ミッチャー(海軍兵学校(アナポリス)1910年組)やジョン・S・マケイン・シニア(アナポリス1906年組)などの将星の指揮下において、航空畑の古参士官として高速空母任務部隊の創成期から任務部隊司令官を務めた将官の一人。

アナポリスを卒業後、当初は潜水艦畑を歩み、1914年11月1日からは潜水艦F-1(USS F-1, SS-20)の艦長を務め、1917年12月17日にF-1が衝突事故で沈没するまで務めた。1920年代以降は航空に転科し、1922年6月にパイロット免許を取得。偵察隊と雷撃隊の指揮官を務めたのち、1936年11月から1938年6月までは空母「レンジャー」(USS Ranger, CV-4)の副長、次いで1940年6月から1941年6月には艦長を務めた。1941年6月からは大西洋艦隊で航空参謀となり、1941年12月からの太平洋戦争では中期以降から高速空母任務部隊の司令官を務める。空母任務部隊司令官としてはギルバート・マーシャル諸島の戦いとラバウル空襲、マリアナ沖海戦、フィリピンの戦いなどに参加。戦争終結後は第5艦隊と第1艦隊の司令長官となった。

アルフレッド・ユージン・モントゴメリーは1891年6月12日、ネブラスカ州オマハにおいて父ユージーン・モントゴメリーのと母ジュリア・スミス・モントゴメリーのもとに生まれる。オマハとマサチューセッツ州ブルックラインのブルックライン・ハイスクール(英語版)で教育を受けたのち、ネブラスカ州からの推薦を受けて1908年にアナポリスに入学。モントゴメリーは1912年6月8日にアナポリスを卒業した。卒業年次から「アナポリス1912年組」と呼称されたこの世代からはアメリカ海軍作戦部長を務めたルイス・デンフェルド、潜水艦部隊を指揮したチャールズ・A・ロックウッド、太平洋艦隊参謀長を務めた「ソック」チャールズ・マクモリス、ビラ・スタンモーア夜戦とブーゲンビル島沖海戦の覇者アーロン・S・メリル、ルンガ沖夜戦で一敗地にまみれたカールトン・H・ライトらがいる[注釈 1]

アルフレッド・E・モントゴメリー(少将時代)
生誕 1891年6月12日
ネブラスカ州 オマハ
死没 (1961-12-15) 1961年12月15日(70歳没)
ワシントン州 ブレマートン
所属組織 アメリカ海軍
軍歴 1912 – 1951
最終階級

海軍中将

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