チャールズ・A・ロックウッド
チャールズ・アンドリュース・ロックウッド (Charles Andrews Lockwood, 1890年5月6日 – 1967年6月7日) は、アメリカ合衆国の海軍軍人。最終階級は中将。太平洋艦隊潜水艦部隊司令官。彼の考案した戦術と育てた部隊”サイレントサービス”はアメリカ軍の太平洋の勝利に大いに貢献した。
1890年5月6日ヴァージニア州ミッドランドで生まれる。1912年アメリカ海軍兵学校を卒業。戦艦ミシシッピー、アーカンソーに乗組。1914年9月潜水艦勤務。
1939年6月米艦隊潜水艦部隊参謀長に着任。巡洋艦リッチモンド(CL-9)に座乗した。1941年2月ロンドンの海軍駐在武官として派遣される。1941年12月太平洋戦争開戦。1942年5月少将に昇進。南西太平洋における潜水艦部隊の司令官として西オーストラリアに着任した。また7月まで西オーストラリア州に本拠を置く連合海軍部隊の司令官を兼任。ロックウッドは1942年6月20日から一カ月マーク14型魚雷の改良のための実戦用魚雷を用いた実験を行い上層部にデータを送った。ワシントンD.C.に乗り込んだりマーク14型魚雷の支援者であるラルフ・ワード・クリスティ提督と争うこともあった。この魚雷は「命中しても爆発しない」「目標の遥か手前で爆発する」「航走が不安定である」ため、潜水艦隊は1942年から1943年の前半まで戦果をあげられず悩まされ、ついには潜水艦艦長二名が艦隊司令部に怒鳴り込む事態にまで発展している。1943年後半に至ってマーク18型魚雷としてようやく改良された。
1943年2月太平洋艦隊潜水艦部隊司令官ロバート・H・イングリッシュ少将がカリフォルニア州の飛行機事故で死亡したため、ロックウッドは後任として太平洋艦隊潜水艦部隊司令官としてハワイに着任する。1943年10月中将に昇進。
渾名 | アンクル・チャーリー |
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生誕 |
1890年5月6日 ヴァージニア州ミッドランド |
死没 |
カリフォルニア州ロスガトス |
1967年6月7日(77歳没)
所属組織 | アメリカ海軍 |
軍歴 | 1912年 – 1947年 |
最終階級 | 海軍中将 |
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