陳紹寛
陳 紹寛(ちん しょうかん)は中華民国の海軍軍人。国民政府において海軍部長、海軍総司令として10数年にわたり海軍の最高指導者をつとめた。字は厚甫。
15歳で福州格致学院に入るなど当初は学問の道を志していた。17歳で南洋水師学堂に入学し、海軍の教練を受ける。1908年(光緒34年)に卒業して「通済」に配属され、以後、順調に昇進を重ねていく。1914年(民国3年)、海軍総司令部副官となり、さらに海軍少校の地位を授かった。
1915年(民国4年)、アメリカに留学し、その翌年にはイギリスに移って駐英公使館付海軍武官となった。1920年(民国9年)、パリ講和会議に中国海軍代表として出席し、さらにロンドンで開かれた国際国際航空路会議の代表にもなった。同年、帰国している。
Who’s Who in China 4th ed. (1931)
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プロフィール | |
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出生: | 1889年(清光緒15年) |
死去: |
1969年7月30日 中華人民共和国福建省福州市 |
出身地: | 清福建省福州府閩県(現・福州市倉山区城門鎮臚雷村) |
職業: | 海軍軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 陳紹寛 |
簡体字: | 陈绍宽 |
拼音: |
Chén ShàoKuān |
和名表記: | ちょう しょうかん |
発音転記: | チェン シャオクアン |
ラテン字: | Ch’en Shao-k’uan |
反応