馬占山

馬占山

馬 占山(ば せんざん)は、中華民国・満州国の軍人。字は秀芳

貧しい農民の息子として公主嶺(現吉林省公主嶺市)に生まれる。その後馬賊に身を投じるが、張作霖の側近だった呉俊陞に見出され1911年に連隊長、1925年には旅団長となった。

1931年(昭和6年、民国20年)9月、満州事変が勃発すると張学良によって黒竜江省政府主席代理に任命され、10月中旬、嫩江(のんこう)にかかる鉄橋を破壊し、関東軍および関東軍に協力した張海鵬の侵攻をチチハルで食い止めようとした[注釈 1]。関東軍と馬占山軍は11月上旬、嫩江鉄橋よりも北側に位置する大興駅付近で衝突、11月中旬には関東軍が馬占山軍に対し、チチハル以北へ撤退するよう求めたが馬はこれを拒絶し、再び小競り合いがつづいた。第2次若槻内閣は、関東軍のチチハル侵攻は国際世論の硬化をまねくとして内閣総辞職を示唆、結局、関東軍はチチハルに侵攻、激しい戦闘ののち馬占山はチチハルを放棄したものの関東軍は小部隊をチチハルにとどめて撤退、そののち、11月下旬にはハルビン在住の張景惠が関東軍の後押しのもと、黒竜江省の地に新政権を樹立することを宣言した。2万の大軍を擁し、声望高かった馬占山は最後まで抵抗しつづけた

Who’s Who in China Suppl. to 4th ed. (1933)
プロフィール
出生: 1885年11月30日
(清光緒11年10月24日)
死去: 1950年11月29日
中華人民共和国北京市
出身地: 清盛京将軍管轄区奉天府懐徳県
職業: 軍人
各種表記
繁体字: 馬占山
簡体字: 马占山

拼音:

Mă Zhānshān
和名表記: ば せんざん
発音転記: マー ジャンシャン
ラテン字: Ma Chan-shan
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