クレア・リー・シェンノート
クレア・リー・シェンノート(英: Claire Lee Chennault, 1893年9月6日 – 1958年7月27日)は、アメリカ合衆国の軍人。中国名は陳納徳。アメリカ陸軍航空隊の将校であり、日中戦争最中には顧問として派遣された中華民国軍で航空参謀長を務めた。フライング・タイガースの指揮官としてその名を知られる。最終階級は中将。
なお、日本では姓Chennaultについて「シェンノート」と呼ばれることが多いが、正しい発音はシェノールト又はシエノールに近い。当時の日本軍からはシェリーター、チエンノートなどと呼称された。
「Chennalt」はフランス語起源で「灌漑用運河付近の住人」をさす。その血筋は1701年3月5日、移民船「ナッサウ号」でイギリス人の妻とともにヨークタウンに上陸したエスティエンヌ・チェノー(Estienne Cheneau)に端を発する。この移民船は英国プロテスタント救済基金事業の第4船であり、オランダから亡命したユグノーで構成されていた。この事から、エスティエンヌはルイ14世の迫害を逃れオランダに亡命した(あるいはその2世)ものであると推測されている。また、「Claire Lee」は母方の叔父(1873 – 1891)の名である。彼は保安官代理で、シェンノートの生まれる前に、護送中の囚人に銃を奪われ18歳で殉職した。「Lee」の由来は、シェンノートの祖父ウィリアム・ウォーレス・リー(1836-1911)が南軍の軍医で、リー将軍と縁続きであったためである。
クレア・シェンノート少将
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渾名 | 「オールド・レザーフェイス」 |
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生誕 |
1893年9月6日 アメリカ合衆国テキサス州コマース |
死没 | 1958年7月27日 | (64歳)
所属組織 |
アメリカ陸軍航空隊(USAAC) 中華民国空軍(ROCAF) アメリカ陸軍航空軍(USAAF) |
軍歴 |
1917年 – 1945年
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最終階級 | 中将(Lieutenant General) |
除隊後 | 民航空運公司設立 |
反応