石渡荘太郎
石渡 荘太郎(いしわた そうたろう、明治24年(1891年)10月9日- 昭和25年(1950年)11月4日)は東京都出身の官僚、政治家。位階・勲等は正三位勲一等。
旧幕臣で第一次西園寺公望内閣の内閣書記官長を務めた石渡敏一の長男。
自身も大蔵大臣・内閣書記官長・宮内大臣などを歴任。近衛文麿の学友であり、税務・経済のスペシャリストとして各政権で重用された。
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生年月日 | 1891年10月9日 |
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出生地 | 日本 東京都 |
没年月日 | 1950年11月4日(59歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学法律学科英法科 |
称号 | 正三位勲一等 |
親族 | 石渡敏一(父) |
第12代 宮内大臣
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在任期間 | 1945年6月4日 – 1946年1月16日 |
第39代 大蔵大臣
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内閣 | 平沼内閣 |
在任期間 | 1939年1月5日 – 1939年8月30日 |
第45代 大蔵大臣
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内閣 | 東条内閣、小磯内閣 |
在任期間 | 1944年2月19日 – 1945年2月21日 |
第43代 内閣書記官長
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選挙区 | 米内内閣 |
在任期間 | 1940年1月16日 – 1940年7月22日 |
第50代 内閣書記官長(国務大臣兼任)
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内閣 | 小磯内閣 |
在任期間 | 1945年2月21日 – 1945年4月7日 |
反応