猪口力平
猪口 力平(いのぐち りきへい、1903年10月17日 – 1983年7月13日)は、日本の海軍軍人。海兵52期。最終階級は海軍大佐。戦後改姓し、詫間 力平(たくま りきへい)となった。神風特別攻撃隊の命名者。
1903年10月17日、鳥取県鳥取市で大工棟梁・猪口鉄蔵のもとに生まれる。兄に猪口敏平がいる。1924年7月24日、海軍兵学校52期を卒業、少尉候補生。1925年12月、海軍少尉に任官。1927年12月、中尉昇進。1930年12月、大尉昇進。1931年11月、砲術学校高等科を卒業し、戦艦「伊勢」分隊長に着任。1932年12月、海軍兵学校教官着任。1934年11月1日、海軍大学校甲種学生34期に入校し、1936年11月26日に卒業。1936年12月、少佐に昇進し、軽巡「鬼怒」砲術長に着任。1937年3月、第5戦隊参謀に着任。1937年12月、海防艦「磐手」副砲長に着任。1939年2月、海軍兵学校教官に着任。1940年10月、第7戦隊参謀に着任。1941年10月、海軍中佐に昇進し、人事局第1課員に着任。1943年2月、横須賀航空隊付。1944年2月、第153航空隊司令に着任。1944年7月、第23航空戦隊参謀に着任。
1944年8月、第一航空艦隊首席参謀に着任。1944年10月、大佐昇進。
1944年10月19日夕刻、マバラカットに第一航空艦隊長官に内定した大西瀧治郎中将が到着した。大西中将は猪口と二〇一空副長玉井浅一中佐などを招集し、航空機による体当たり攻撃を提案した。玉井が人選を行ったが、指揮官の選考で猪口は海軍兵学校出身者がいいと注文し、関行男が選ばれた。また、猪口は「神風特別攻撃隊」の名前を大西に提案し認められた。10月20日、大西による訓示と部隊名発表があり、神風特別攻撃隊が編成された。猪口によれば、「神風」の由来は郷里の道場「神風(しんぷう)流」から名付けたものである。その後、神風特攻隊編成命令書が大西、猪口、門司親徳によって起案され、21日に中央各所へ送信された。
生誕 |
1903年10月17日 日本 鳥取県鳥取市 |
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死没 | 1983年7月13日 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1924年 – 1945年 |
最終階級 | 海軍大佐 |
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