庵原貢
庵原 貢(いはら みつぐ、1903年(明治36年)10月3日 – 1979年(昭和54年)3月31日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官である。海軍兵学校卒業(第52期)。第3代海上幕僚長。
兵庫県出身。豊岡中学校(現・兵庫県立豊岡高等学校)を経て海軍兵学校に入校。太平洋戦争中は第三艦隊参謀としてスラバヤ沖海戦などに従軍。1945年(昭和20年)4月、鈴木貫太郎首相秘書官に出向し「日本のいちばん長い日」を体験した。戦後は保安庁警備隊を経て海上自衛隊に入隊。第3代自衛艦隊司令を務めたのち、第3代海上幕僚長に就任。
海上幕僚長当時の庵原(1959年)
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生誕 |
1903年10月3日 日本 兵庫県 |
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死没 |
日本 千葉県千葉市 |
1979年3月31日(75歳没)
所属組織 |
大日本帝国海軍 警備隊 海上自衛隊 |
軍歴 |
1924 – 1945(日本海軍) 1953 – 1954(警備隊) 1954 – 1961(海自) |
最終階級 |
海軍大佐(日本海軍) 海上幕僚長たる海将(海自) |
除隊後 | 財団法人水交会会長 |
反応